世界連邦埼玉県支部 | 山根りゅうじ


徒然に

2015年2月の記事一覧

2015.02.13

今朝、花美が「爺君は、本当にゴミが好きだね」と史子に語ったという。別に好きなわけではなく、義務としてゴミだしの任務を全うしているに過ぎないのだが、子供の目には楽しそうに見えるのだろうか。
 風邪で学校を休んでいた花美だが午後少し元気になってきたので、遊んでやったがまだ本調子でないので機嫌が悪く私に悪たれをついた。「爺君なんか中年のクソおやじ
じゃないか」と。‘‘中年‘‘は、初老の私にはほめ言葉になるのだが、一応その意味を花美に教えてやった。しかし、ピンときていなかったようだ。

2015.02.13
微妙

先日、jrの埼京線に乗り大宮へ南古谷から乗り込んだが40代とみられる男性から席を譲られた。つり革に身を預けるようにしていたので気の毒に思ってのことだと思うが、有難くもあり、嬉しくはなくという感じだった。前日、寝不足でかなりまいっていたのではあるが、果たして年寄りに見えたのか少し気になっている。

2015.02.10
周辺環境の激変

2月2日には300メートル離れたところに焼き肉店がオープンし、12日には田圃一枚挟んだ30メートル隣にセブンイレブンがオープンし、4月には2キロ先にららぽーとがオープンする。我が家は町中にあるのではなく農村地帯にあることを考えれば、これは奇跡的な環境変化である。とくにお隣のセブンイレブンの回転は有難くこれで買いだめは不要となる食料品は多く、冷蔵庫にも余裕ができそうである。幸先の良い年明けとなっている。春の戦いもこのようであれば有難いのだが。

2015.02.08
中國と韓国との関係

日中問題、日韓問題といわれるが、本当に両国間の問題なんだろうかと首をかしげたくなることが多い。本当は韓国自身の問題、中国自身の問題でないのかと言いたくなることがままある。両国は日本に領土を含め歴史問題以外、ほとんど問題提起をしてきていない。しかも、その歴史問題というのは歴史の1時期に絞りわが国が行き過ぎ迷惑をかけてきたことだけの問題を提起している。当時の世界的な状況の中での視点や両国の国内状況については、全く触れることなく一方的な批判を加害者の立場にあるわが国は黙って聞き頭を垂れていなければならないのであろうか。もっと率直に近現代史を学びあえないものだろうか。たとえば、中国では現代史の中では天安門事件に触れることは一切できない。ましてわが国がこの問題で中国が世界的に孤立しているとき、天皇陛下の訪中までもして手を差し伸べてあげたことなど今更、触れてほしくないのだろうか。また韓国の今日の発展は日本の経済、本格的な技術援助なくしてはあり得ることではなかった。それなのに、である。国内問題の生きずまりをいつも、反日に問題を転化している。こんなことをやっていても、いつまでも通用しなくなってきていることをそろそろ指導者はきずきはじめてきたのではないか。

2015.02.07
テロの温床

イスラム国を壊滅させるという欧米の戦略は達成されるかもしれない。しかし、テロを根絶させることはできない。フセインやカダフィが殺されても混乱に拍車がかかったにすぎなかったように、別の形の不安や恐怖が生まれてくるに違いない。テロの温床は貧困と格差が根底にあり、そこへ火をつける思想が引き金となって起こるものだろう。格差のがいねんは、一般的には貧困率だがわたしはもっと別の格差に目を向ける必要があるとおもっている。これは欧米ばかりでではない。中国の権力者にしても1兆円などという途方もない汚職がはびこっているし、中東でも王族が巨万の富を独占している。ここにもうそろそろメスを入れないと世界的貧困と格差は是正できない。世界に富は人類から貧困をなくすに充分すぎるほどのものがある。あとは分配の問題があるだけではないのか。

2015.02.05
半年のオルグ

娘、史子の政治活動をバックアップするため後援会拡張オルグを1日200件ほどしてきたがなかなか目標どうりにもいかず、このところ焦燥感にさいなまれている。今日は昨日から大雪の予報だったが、なんとしてもやり抜こうと決意していたのでなんとかやりとうすことができた。本人も午前中はたまっている事務処理をこなしていたが、午後からオルグにでかけた。人間はそんなに強いものではなく、直ぐに自分に負け言い訳を考えながらくずれるものだが、それがたとえ親子であってもお互い刺激しあうと頑張れるもので「お父さんには負けない」の思いでやってくれればもうけものである。

2015.02.05
朱里のつぶやき

姉の花美が友達とのちょっとした仲たがいで悩み母親の史子が、アドバイスしているのを横で聞いていた小1の朱里が「朱里は人気者なんだ」と小声でつぶやいていた。

2015.02.05
後藤さんのこと

殺害された二人の日本人のことについて、テレビや新聞の報道では海外も含め同情的なコメントばかりであるが、私が色々なところで接する人たちはほとんどが二人に批判的である。私の基本的な考えはどのような理由であれ、人が人を殺害することは誤りだということである。多くの国民の意見とも異なるが死刑制度も私は反対の立場だ。したがって当然、今回の惨殺はとんでもないこであるのはもちろんである。ではあるが、国家に多大な、あるいは国際的にも自由主義国家を揺るがせ、苦しめたことは例えば後藤さんの場合、紛争地域の無辜の人々の暮らしぶりを伝える、湯川さんを救出するという大義があったとしても取るべき行為ではなかったとわたしは思う。
 さてヨルダン政府は報復としてリシャウィ死刑囚の刑を執行したとしたが、わざわざ報復という言葉を使ってほしくはなかった。国民感情を考慮してのことだったのだろうが報復の連鎖というより憎悪の連鎖がより深刻な問題となってくるからだ。
CAT:9


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