昭和23年 東京都豊島区生まれ
私は7人兄弟の末っ子として誕生しましたが、皆異母兄姉で年の差も大きく、一人っ子のように育ちました。
「私立佼成学園高等学校」卒業
「埼玉大学経済学部」中退
埼玉大学には県議会議員の時、社会人入学を果たしましたが、残念ながら時間の確保がままならず、挫折しました。
昭和41年「医歯葉出版株式会社」勤務
4年ほど、サラリーマン生活を経験しました。この頃から、当時盛んだった学生運動に啓発されて、アフター5と休日は、専ら政治活動に取り組む日々でした。
昭和45年 | 民社党 衆議院議員 西田八郎氏秘書 |
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昭和48年 | 民社党 参議院議員 柄谷道一氏秘書 |
私の政治活動の第1歩目は、衆議院議員の秘書でした。衆議院議員の秘書の後は、参議院議員の秘書も経験しました。衆議院と参議院の両方の議員秘書を経験した事は、とても貴重な経験でした。
この経験から、衆議院と参議院の役割や違いを、身をもって学ぶ事が出来ました。私が衆議院よりも参議院を選んだ理由も、この時の経験によるものです。
昭和54年 | 川越市議会議員 1期目 |
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昭和58年 | 川越市議会議員 2期目 |
昭和62年 | 川越市議会議員 3期目 |
平成3年 | 川越市議会議員 4期目 |
31歳になった昭和54年、地盤が全くない川越市から市議会議員に立候補し、初当選をさせていただきました。
その後、多くの方々のご支援によって、4期連続当選をさせていただきました。この間、「市政」を徹底的に学び、今でもその時の経験を生かす事が出来たと自負しております。
そして、私は、その経験をもっと多くの人達の生活に生かしたいと思い、埼玉県議会議員を目指したのでした。
平成7年 | 埼玉県議会議員 1期目 |
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平成11年 | 埼玉県議会議員 2期目 民主党 埼玉県連幹事長 歩みの会・民主議員団(議会会派)幹事長 |
県会議員の選挙は、2度とも厳しいものでしたが、多くの方々からのご支援のお陰で、県会議員を2期6年勤めさせていただく事が出来ました。
また、「民主党埼玉県連」の結成に立会い、党の要職に就きながら、激動の政界を無我夢中で走り続けました。
振り返ってみれば、国会議員秘書から今日までの35年間は、政治生活一筋に全てを捧げた人生でした。しかし尚、日本の政治は漂流を続けています。
平成13年7月 | 参議院議員 1期目(埼玉選挙区・民主党公認) |
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私は政界に身を置く者として、この現状を憂い、議員秘書・市会議員・県会議員としての35年間の経験を生かし、政治を国民の手に取り戻すために、国政に全てを捧げる決意をしました。
そして、平成13年7月の参議院選挙では、得票数419,181票で3議席の3着で当選させていただく事ができました。
政治のプロとしての自覚をもって、国政の改革にとり組みます。
平成13年 |
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何でも勉強と考え、割り当てられた委員会でしっかり発言してきました。
平成14年 |
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苦手だった“経済”ですが、何とか1年間こなしました。あと1年、できれば財政金融委員会でやってみたかった気がします。
平成16年 |
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国際問題調査会では、筆頭理事として舞台づくりに汗を流しました。中国での反日デモが繰り返されていた時に、東アジア共同体構想をテーマとしたのは、時宜を得たものと自賛しています。
平成17年 |
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平成24年度 |
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