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2016.06.10
参議院を離れて3年もたつのにいまだに国会が終わると分厚い会派の活動報告書が送られてくる。まだ忘れられていないのだな、と嬉しくなる。同期で惜敗し党を離れていった人も多いが、その人たちにも送られているのか否か分からないが
送られた方は誰しもうれしいのではないか。こうした気遣いが段々、政界に無くなってきているのだが、義理と人情に篤い老政治家がいてこそのことであることを私は知っている。若い政治家の皆さんもぜひ気遣いの政治を継承していただきたい。
もう引退を表明されているので敢えて、名前を出すが多分、輿石元副議長の発案だったのではないか。輿石さんは日教組出身でありその組織のイデオロギーに反発を覚える人も多いが、実際に先生を知る人々はイデオロギーの左右を超えた義理と人情の人であることを理解している。だから自民党からも信頼が厚く、自民党の青木幹事長引退のあと参議院で大きな役割を果たされてきたのだと思う。
55年体制の自民・社会のなれ合い国対の悪弊から離れたところで国会運営に当たられてきた功績は大きいのではないか。
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2016.06.09
本会議質問について「原稿無しでやるべきでないか。なに見ながらやってんだ」といった視聴者のご意見をテレビを通じて多く聞くことができた。また、ワイド番組のコメンテイターも同様の発言をしていた。気持ちはわかりますが国会も含めて本会議は原稿を持って演説をするのが慣例となっている。それは、本会議演説は原則として一問一答形式ではなく一度きりの演説であり、間違いの許されない権威を持ったものとしよう、という暗黙の合意が議会の歴史の中で築き上げられてきたことが背景にある。だからアドリブなど効かされない舞台ということができる。
昭和11年に行われた斎藤隆夫の粛軍演説は議会の歴史に名を残すものとなったが、一言一句練りに練り考え抜いた演説は一言の言い間違えも許されない正に命がけの演説であったに違いない。この演説も本会議場で原稿をしっかり読み上げてのものであった。
今から45~46年前沖縄問題で地方自治の神様と当時言われていた門司亮代議士が20分程の演説をノー原稿で行ったのを見たことがあったが、このとき一応、手には原稿を丸めて持ち演説後筆記者に手渡していた。ノー原稿演説ではあったが慣例となっていた形式は尊重されていたように思った。
其の後、私が国会議員になってからも何人かの議員がノー原稿の演説を行ったが、私にはただ記憶力を誇るだけのものでしかなかったような気がした。聞くものを感動させるようなものではなく、議場の空気は、うまくできるかどうかといった次元の心配しかなかったような気がする。
フランスでは予算説明の演説でジスカールデスタンが数10におよぶ数字を間違えなくそらんじ、話題となったことがあったが、そのことに私は意味があるとはおもえなかった。
私が生で見た演説の中では皆、自民党ではあるが病後復帰した幹事長も務めた田中六助さんの演説は迫力があった。また、参院のドンといわれた青木幹雄さんの小泉総理への質問は迫力を持ちながらも、気遣いあるギリギリの与党質問であり質問の妙をみせていただいた。このお二人の名演説もしっかり原稿を読んで行われたものであり、変にアドリブにこだわったものの中から名演説は生まれてこないと私は思う。考え抜かれ研ぎ澄まされた言葉にこそ人を揺り動かすエネルギーが内包されているのではないか。
政治家にとり本会議場での演説は、渾身の力を籠める場であり、時に政治生命を、時に命をさえかけるような場でもあるのだ。
知性と品性が求められる都議会の本会議で知事批判するのに、「せこい」の表現はちょっと違和感が残る。「知事として吝嗇(りんしょくーけち)に過ぎるのではないか」と述べるべきではなかったか。
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2016.06.08
昨日の朝刊で東京選挙区から自民党公認の立候補と知りびっくりした。致し方ないことなのだが、私からは以前、民主党から立候補してほしいと要請していた経緯がある。その時はオリンピックをビーチバレーで目指していて、「環境が整ってから」といった話で終わっていた。私からは環境問題に関心がある様子だったので、今から関心を持ち続け勉強していったら強みになるよ、というようなことをアドバイスさせてもらったのを憶えている。
私の二度目の選挙の時、友人を通じて応援に入ってもらっていたという関わりだったが、その後、私の知人の企業から氏をサポートすることとなり、時折活躍ぶりは聞かせてもらっていた。既に政党を離れた身ではあるが、今私の心の中には何か喪失感がある。
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2016.06.07
テレビで会見を見させてもらった。都知事はこれで何とか乗り越えたい、との思いなのだろうが都民の信頼を再び得るのは並大抵のことではないだろう。実務能力は高い人だと思うが、任期中に今回の問題を払拭できるほどの画期的な実績を都民にお見せできるほどのメニューがあるのだろうか。それにしても、長時間の記者会見の間、ある種堂々と受け答えする姿を見て決して嫌味や皮肉ではなく心の折れない強い人だなと思った。
前にも書いたが、舛添さんとは参議院同期で友達ではないが私にとってはカモ猟も一緒に行ったこともあるなど、身近に感じられる自民党議員の一人であった。その彼に当選後、1~2年経った頃だったろうか普通なら失礼な質問だったろうが、同期のよしみとの思いもあって「政治献金は一か月どのくらい集まっているの」と聞いたことがあった。そうしたら率直に「大体20万円くらいかな」と答えてくれた。
私が知りたかったのは、当時、テレビにでずっぱりで超有名人である人にどれくらい国民の皆さんは献金するものなのか、という点にあった。つまり日本国民の政治家に対する献金意識に私の関心があった。この人でさえ20万円なら我々無名の国会議員が一般国民の皆さんに献金のお願いをしてみても、現実には限りなくゼロに近いのだろうなとそのとき直感した。個人の政治家を対象とした政治団体ではないが、事実、旧民主党本部に献金されて来られる方はほとんどいなかった。党の予算の90数パーセントは国からの政党助成金である。
しかし政党本部への献金の実態は党によって全く異なっているのだろう。公明党や共産党のような熱烈な支持者に支えられているところは、一般支援者からの献金も多いのかもしれない。
政治と金のことは実態を国民の前に明らかにしたうえで、議員経験者や学者など専門家の間で徹底議論しつくして新たな制度設計をしておくべき時期に来ていると思う。国の有能な人材が政界や官界を忌避するようになれば、日本の衰退に直結するになるのだから。
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2016.06.02
昨日で国会も終わり政界は参院選一色に染められてくる。私自身の政治活動も誤解を生んではいけないので、参院選挙が終わるまで一時、休止とすることにした。有り余るエネルギーをこの40日間どこにどのようにぶつけていくか、考えることも楽しい。
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2016.05.31
半年くらい前だったろうか、政界の二つの問題について大胆に予想したことがあった。ひとつは民主党の合併・再編問題についてだった。維新との合併については小規模なもので終わり、党名は‘‘新民主党‘‘といった程度で終わるだろうとの予測をした。これはほとんどズバリと当たったのではないか。次は衆参同日選の可能性を7~8割と予想したのだがこれはどうやら外れてしまったようだ。熊本地震もあったが、自民党独自の調査であまり勝算が立たなかったことが、一番大きな決定要因でないのか。解散の時期の予測は総理だったらどう考え決断するのかを忖度すれば私は結構な確率で予測できるとは、今でも思っている。
総理の性格、発想の仕方、体調をみれば‘・・・今回の総理の最大の関心事は憲法改正を念頭に一歩でも近づけるか否かの判断だったと思う。私の予測は結局一勝一敗で終わった。
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2016.05.29
トルーマン大統領の原爆投下は戦争を早く終わらせるためのものだったとの米国民の思いはわかるが、歴史的な検証を進めていけば多分に人種差別的、あるいは一方的憎悪の感情による決定だったことが明らかになってくるのではないか。
しかし今日米の力関係や、政治的副作用を考慮すればそのことを論じる時期、時代ではないだろう。オバマ大統領の広島訪問だけをとらえ評価することで良しとしなければならない。国内の状況を考えればオバマ大統領は精いっぱいの行為をわが国と世界に向けて示してくれたわけで、高く評価させていただきたい。
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2016.05.27
トランプ氏が外交問題で同氏に意見を求めたとの報道があった。キ氏は力の信奉者で狡猾なまでの外交家だと私は思っているが、オバマ大統領が広島を訪問したりウルグアイの元大統領が力ではなく、幸福そのものに価値を置く新しい国家目標を推し進めるべきと主張したりしている時代の潮流が起こりつつあるときにトランプ氏がキッシンジャー氏を外交の指南役とすることに少し不安を覚える。現実をあくまで踏まえなくてはならないが、理想も同時に模索すべきでその兼ね合い、バランスが気がかりである。
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2016.05.22
今朝、早朝のテレビ番組 時事放談
で舛添都知事の件に関し、もう都民の信は離れてしまっている、という意味で「同じことを言っても信頼される人と、そうでない人がいる」と藤井先生は語っていたが、思い出したことがあった。もう12年前のことになるが、参議院選挙の公示直前になり、もう候補者が決まっていて運動が本格化している時点になって全く唐突にもう一人埼玉選挙区から立候補させろと党本部から言ってきた。当時県連の幹事長をしていた私は猛反対し続け党本部も困り果てていた。そこに調整に来られたのが、藤井先生だった。この新たな候補者を押し付けてきたのは、小沢先生であることは明白だった。なんとなれば、候補者は小沢塾出身であり、本部に私が「なぜ今の時期に無理を押し付けてくるのか」と何度詰問しても関係者は口をつぐんでいたいたからである。誰しもが無理な話だと分かっていた。それを強引に持ってくる人は小沢先生以外考えられなかった。
藤井先生は小沢先生の懐刀的存在であり、当時側近であった。「幹事長(わたし)の気持ち本当にわかるよ。申し訳ない。謝るよ。本当に苦労かけご迷惑をかけてしまうね・・・」
といった言葉を私にかけ続けたうえで「そこを何とか・・・・」と言って私を丁寧に説得された。私は細川律夫代表とともにやむなく了承せざるをえなっかたのだが、人格識見ともに高みにある藤井先生だったからこそ呑み込めた話で、ほかの方だったら私は細川代表とともに最後まで突っぱねたに違いなかった。藤井先生こそまさに人物だった。
今朝、あの時の記憶がまざまざと蘇った。
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2016.05.19
社民党の吉田党首が合併を断念したと報じられた。政策や理念以前に実務的な面で大きな困難が一つあるのだと私は思う。それは資産だ。社会党は1955年の結党であり歴史ある政党であり党本部をはじめ地方でも借用でなく自前で県連事務所などの資産を持っているところがある。この資産整理は地方によって複雑な権利関係があると思われ一朝一夕に処理することは困難だろう。吉田党首はこの辺の事を承知していたかどうかわからないが、事は容易ではないはずだ。
余計なおせっかいと嫌われそうだが、今後も社民党は存否の危機に立ち至ったとき、改めて資産の処理を巡って喧しい議論が党内で起こってくる可能性があると私は見ている。
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