世界連邦埼玉県支部 | 山根りゅうじ


徒然に

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2016.08.17
久し振りの孫二人とのアサデニ

 小3の朱里とは時々二人で朝食をデニーズで摂っているが、いつもは断る花美も今日はついてきて久しぶりの三人での朝食となった。食事が運ばれてくるまでの間、三人で色々なおしゃべりを楽しもうと思っていたら着席するなりゲームに夢中でそれどころでないといった様子だった。何がそんなに楽しいのかなどと考えてはいけない、と自分に言い聞かせて一人で考え事をすることにした。 
 ようやく食事が運ばれてきて子供たちも顔をあげ「うわーおいしそう。ぜんぶたべられるかな~」などと話し始めた。二人とも少し量が多かったみたいで完食とはいかず、私に残り分を回してきた。いやいや自分はダイエット中なのだと断ればよかったのだが、じっとこっちを見て私が平らげるのを待ってる風だったので、ここは男気を見せなくてはなどと見栄を張りお陰で家に帰ったら 
下痢状況となってしまった。下痢から痔へと状況はさらに悪化、何ともつまらぬ見栄の代償は大きすぎた。 

2016.08.16
基準の危うさ

 この数回のオリンピックでメダルのトータル数が活躍度合いのバロメーターとなってきたが、それまでは金メダルの数を評価基準にしていた。野球でも打率を評価基準としていたが、イチローが安打数を自身で評価基準にし始めたためマスコミも後追いで基準を変更してきた。 
 私は国家の評価も世界の市民レベルで変えていったらいいと思う。喧嘩が強いという戦争力、金持ちであるという経済力、威張っていられるという政治力を評価の基準とするのではなく、国民の幸せ度、他国への貢献度、好かれ度合・被尊敬度合、品格等を評価の基準として世界中の市民団体が評価結果をまずは発表していったらどうだろうか。そして世界中の指導者も無視できなくなるまでにこうした基準を喧伝していったらいい。中国の時代錯誤の膨張主義はブーメランのように自国に災いをもたらすこととなるが、咽喉もとの熱さ過ぎればまた同じことを繰り返すだろうから、この新基準を頭に中国の指導者層は国家運営を図ってもらいたいものである。
 中国のような大国が変われば直ちに世界は変わる。中国が善政に目覚めれば真に世界のトップリーダーになっていける。孔子を輩出した国である。出でよ鉄人政治家。

2016.08.15
我が家の戦争とくらし

 異母兄弟の長男が中国で戦病死している。終戦の翌年昭和21年のことである。父の先妻は病死しているが、戦後、再婚した父の後妻との間に生まれたのが私で一人っ子である。異母兄弟は6人だが皆からは戦病死した長男に顔と雰囲気、話し方までもがそっくりと言われたりしていた。確かに写真を見ると外見が似ている。その兄の遺族年金は父におりてきて、死んでも親孝行していると兄弟皆がよくいっていた。乏しい収入の中で遺族年金は有り難かったに違いない。 
 東京大空襲のことなど無口な父に代わり母がよく話していた。防空壕のこと、焼夷弾の恐怖、爆撃機B29のこと・・・。色々な話の中で戦争の恐ろしさを覚えつつも、私には戦病死した兄のことがいつも年金と付いてイメージされてきた。兄はどんな人だったのか、私とどう似ていたのか、もしかしたら自分は兄の転生なのか、そんな思いを8月15日に巡らせることも度々であった。 

2016.08.14
邂逅(かいこう=おもいがけなくであう)の人

 川越駅東口での活動では、久闊の人々との出会いもまた楽しみの一つである。朝の駅立ちではお勤めに出られる人との出会いだが、土日、休日の駅頭では定年を過ぎた方や、主婦の方、市外から来られる方もいるので東京での知人や数十年ぶりといった人との出会いもある。立ったまま長話になったりもするが、活動が一時停止状態になるのだが、これも人生の美味しい果実として楽しませてもらっている。
 さて、今日はなんと川合市長と出会った。にこやかに「頑張ってください」と言われ、何の逡巡もなく握手をした。微妙な一瞬なのだろうが、心に何のよどみもなく直ぐに日常へと時が流れた。 

2016.08.13
晩夏の風

 11時前から12時過ぎまで川越駅頭に立ったが、確かに暑くはあった。しかし4~5日前の猛暑とは違ってきた。4時半を過ぎると真夏でも日陰に走る風が心地よいのだが、今日の夕方の風は秋のおとずれを感じさせてくれるほどの涼しさであった。猛暑を避け4時からのオルグ開始としていたが、午後一番からのスタートとなる日もそう遠くなさそうだ。 
 今日で本庁管内のオルグが終了した。活動家として大きな山の登頂を果たしたような達成感がある。この二年ほどで高階地区、南古谷地区、芳野地区、本庁管内の原則全戸を娘の議会報告書、あるいは私の市政改革の提言書を一戸一戸ほうもんしおとどけする活動を展開してきた。この他、山田地区、霞が関地区の一部の訪問を果たしているが、正念場はこれからとなる。 間違って二度訪問してしまったところ、伺ったつもりで未訪問となっているところもあるだろうが、一応自分としては全戸自身で歩いてきたという達成感がある。 
 よく政治仲間からは「お前は運がいい男だ」と言われるが、その通りだと思う。しかし、運を引き寄せるためにはいくつもの術があると思う。その一つは人から見て桁違いの努力を重ねることだと私は思っている。2年半で自身による10万戸訪問を果たせば、川越15万戸の3分の2を訪問したこととなり私は自分をほめはしないが、自分を呑みに連れてってやるくらいのことをしてやりたいとおもう。

2016.08.12
命の終焉

 蝉があちこちに死体をさらし、ミミズが僅か3メートルのアソファルトの道を横断できず命尽き日干しにされ、その上に蟻が群がっている。トカゲも車に轢かれでもしたのだろうか、乾ききり白色化した屍が見捨てられたように晒されている。歩車道分離帯の端に堅いアソファルトを突き破って出てきた名も知れぬ草花も花をしばらく咲かせた後は、枯れ果てていた。じりじりと照りつく夏の日差しは残酷である。 
 今でこそ孤独死が決して例外ではなくなっているが、多くの人は家族に癒され、励まされ、見守られ、惜しまれて旅立っていった。犬の散歩で見る身近な動植物の死の現実を目の当たりにして,この年だからこその感慨ではないが人と生まれてきたからこその臨終の有り難さを改めて感じ入っている。
 動植物は人間のような死への恐れや不安、生への執着はないのだろうか。晩夏の今、政治活動に明け暮れる時を過ごしていても尚、生と死を絶えず思わずにいられない癖は、若い頃から変わらない私の習性である。 

2016.08.11
お盆連休の始まりか

] 私の活動にお盆連休はないが、一般社会では今日から連休というところが多いのではないか。今日、昼にかけて1時間半ほど川越駅頭に立ったが普段の休日に比べ人通りが少なかった。やはり帰郷している人が多いのかもしれない。私は女房の実家のお墓が秩父で、私の方は東京の玉川上水なのでそれぞれ日帰りできる。お彼岸とお盆の三回は墓参しているが、ほとんど夫婦二人での墓参である。子供や孫はなかなか行きたがらない。 
 死んでお墓にいるわけではないが、自分たち夫婦が死んだらやはり墓参りには孫や子供には来てもらいたいものだ。気持ちの問題ではあるが、墓参で心が少しつながっていく様な気がしないでもない。愈々の時は、すこし脅かして「墓参に来ないと化けて出てやる」とでも言ってやろうと思っている。 

2016.08.10
天皇陛下の生前退位

陛下のお言葉は極めて抑制的であった。種々、気遣かわれてのご発言であり
あのトーンで良かったのだと思う。どう受け止め、どう政治として対応するかは様々な議論が必要で私も何とも言い難く、推移をしっかりと見守っていきたい。
今後、設置されるであろう有識者会議はその人選をしっかりと行わなくてはならない。小泉内閣の時、女性・女系天皇問題で設置された有識者会議のメンバーで過去の経歴や発言で、皇室制度に対し否定的、批判的な人物がいて当時官房長官だった安倍総理に問題提起をしたことがあった。私の質問後、公の答弁とは別に安倍さんは、「山根さん、確かに人選で問題があったんですね」と私に耳打ちした。今後設置される有識者会議のメンバーは少なくとも皇室制度を肯定的にとらえ、敬愛、尊崇の念を持つ者であるべきだろう。

2016.08.08
軍縮と核廃絶の慨嘆

 長崎の平和集会に出席。KAKKIN埼玉県議長の立場でこの数年、広島と長崎を交互に訪問している。平和公園で参拝した後、KAKKIN会議の集会に出席した。
 核兵器の廃絶は、人類共通の願い、では実はない。核兵器を政治的、軍事的に有効に使っているから、あるいは使おうとする意志を持つ者がいるからこそ、核兵器の廃絶が実現していないのだ。
 軍縮と核の廃絶は、本気でその意志があれば実現可能だ。にも拘らず一向に進展しないのは、人間の積み重ねてきてしまった業のようなものが、立ちはだかっているからなのだろう。
 もしかしたら、軍縮も核廃絶も、もう現実の諸兵器をはるかに超える反超兵器の出現を持たなければならないかもしれない。

2016.08.07
人間と人工知能

 人工知能(AI)が発達し、ロボット技術が進んでくると人類の歴史が大きく変わってくるのだろう。国会での安保法制論議の時、徴兵制のことが取り上げられてられていたが、個人的には私はそんなに心配してはいなかった。可能性はゼロでわないが、主要先進国には徴兵制はないし、そんな気運は生まれないだろう、そんな思いでいた。
 恐らくこれからの戦闘の形態は大きく変わり、人と人が争う、というよりロボット化された者がぶつかり合ったり、当然、戦闘機も無人で精密機械同士の闘いになってくるのではないかという超長期的な軍事展望を持っていることによる私の安心だった。
 しかし、より深い心配は人間が人工知能を信奉し過ぎ、しっかりとした管理能力を失うことである。情報化社会の究極に人工知能があるのだろうが愈々今、人間力が見直される時代に差しかかってきた気がする。知力に人徳が追いつかなければ大変なことになる。


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