書かされるということ
漫画家の水木しげるさんが亡くなり生前のインタビュウビデオが流されていた。「妖怪漫画は7~8割は僕が書いているけど、後の2~3割は書かされているんだ」と言っておられた。三島由紀夫が2・26事件を扱った「憂国」を書いた時も「どんどん書かされちゃうんだ
」と語っていたが、書かされる、というレベルが凄い。才能も情熱も誠意もあるレベルを超えた人だけが経験できる異次元の世界だ。羨ましくもあり怖くもある。
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書かされるということ 漫画家の水木しげるさんが亡くなり生前のインタビュウビデオが流されていた。「妖怪漫画は7~8割は僕が書いているけど、後の2~3割は書かされているんだ」と言っておられた。三島由紀夫が2・26事件を扱った「憂国」を書いた時も「どんどん書かされちゃうんだ |
正直の力 cop21で周近平国家主席は「中国は一貫して気候変動対策の積極的な参加者だ」と発言した。京都会議での振る舞いでは全く参加意識がなく、地球温暖化の責任感の欠如が際立っていた。co2の排出が世界一にも関わらずである。 |
え~そんなこと・・・二人を怒ることを止めるようにしてから、二人の態度が少しずつ変わってき始めている。花美は悪たれをつかなくなってき、朱里の方はべたべたするようになってきた。抱っこをせがんできたので、抱いて遊んでいたらほっぺに軽くチュウをしてくれた。それを見ていた花美が「え~朱里そんなことすんの~」と言って驚いていた。ママである娘の史子にきのうお風呂に入っていた時「爺君のこと大好きになってきた」と言ってくれたようだ。ただ私には未だに「嫌いから普通になってきたよ」と一段下げた評価しか与えてくれていない。 |
席替え食卓で私の席は決まっていた。テレビを見るのに一番の席だったが、このところ子供(孫)たちが勝手に速いもん順だと言って私の席から動こうとしない。最初のうちは強引にどかしていたが、その度に争うことに疲れてきて今では好きなようにさせている。ところが今私が座っている孫たちの対面の席に今は満足するようになってきた。何となれば、テレビを見て反応している子供たちの顔をいつまでもジッと見続けていることができることに気が付いたからだ。上の花美は「見ないで。きもい」などと言っているが、暫くすればちら見ぐらいは可能である。下の朱里は花美が何も言わないときや、一人の時は全く気にしていない。今日などは30分ずっと眺め続けた。飽きることのない新たな嬉しさの発見である。 |
すごいんです 今の川越 昨日テレビを見ていたら県立川越工業の生徒たちがギネスに挑戦して見事認定されたという映像を見ることができた。それは電池で車両を10キロ走らせるという快挙だった。また、ノーベル物理学賞を受賞することとなる梶田隆章先生は県立川越高校の出身である。川越川越と報道されると何か自分がほめられているかのような錯覚がある。親戚が集まるお正月の宴席では、さり気なく川越を自慢してみようと思う。 |
慰安婦問題 首脳交渉で言ってみてほしかったこと多分言ってはいないと思うけれど、韓国国内で起こっている韓国人女性による米運慰安婦の集団提訴については、帰国政府はどう対応しようとされているのか。ベトナム戦争に参戦された貴国兵士とベトナム人女性との間に生まれたライダンハン |
初恋の心に似て朝の犬の散歩コースでは、孫の通学路と重なる距離が200メートルほどあり時折、偶然を装って花美と朱里の通学の様子を見たくて時間を合わせて出くわす事を図ったりしている。これがしょっちゅうだと心を読まれ「きもいから来ないで」といわれるだろうから週に1度位にしている。他の子供達の中にいる二人の幾分緊張した、家では見られない姿を |
普通のお爺ちゃんに子供たちがピアノを弾き続けているので「爺君もピアノを弾けるよ」と言ったら、びっくりした顔をして「爺君弾いてみて」と花美が言うので「うんわかった。よく見ていて」といってピアノの端を |
そろそろ青春の入口?小5の花美のことは、書きづらくなってきた。一人の人格を持った者として有するプライバシーの事を尊重しなければならない時期が到来しつつあるように思う。もしかしたら今日が最後のメルマガ掲載となるかもしれない。 犬を連れて散歩していたら、「あ・・じじくんだ」と言って犬のジルに近寄ってくれた2人の子供がいた。聞いてみると5年生で花美の同級生だという。2人の孫以外から「じじくん」と言われたのは初めてで嬉しくもあり、このことを花美に話したら激怒された。「じじくん」という呼称は自分のイメージを壊すものなのだと、最近思っているらしく友達がそんなことを言うはずはないと、食って掛かってきた。しかし言ってきたことは事実で「爺君が言ったわけではない」といっても聞き入れようとしない。外では今では「うちのおじいちゃん」と言い換えているらしいのだが、とき既に遅し、ではないのか。複雑な乙女、否、少女心である。 |
権利と義務の間にあるもの、あるいはその中にあるべきもの権利の主張があまりに強く聞こえるとき、違和感が生じるときがある。また、勿体つけて義務の遂行を聞かされるとき「どこかちがうんだよな」と思ってしまう。よくよく考えてみるとそこにあるべき感性が欠如していいることに気づかされる。それは”感謝”と”謙虚”の心ではないだろうか。現役の議員ではないので率直に言って、いわゆるクレーマアと言われている人に権利を振りかざす人が多く、周囲の人たちは引いている。クレームをつけるときでも相手のことを思いやる気持ちを持っての行為であれば、むしろ主張がとうりやすいのではないか。 |