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2016.04.24
もう田植が終わっている農家もありびっくりである。以前は麦も作っていてそのあとの田植えだったので、こんなに早くはなかったという。水を川から引いてくる家と地下水をくみ上げている家があるが、井戸水の農家が早いのだそうだ。まだ寒暖が交互にやってくるこの時期に大丈夫なのか気になるが、プロのやられていることなので余計な心配は要らないだろうが。
芳野地区には、私と同期の昭和54年初当選の市議会議員お二人がいた。井上精一さんと江田としおさんである。井上さんはすでに他界され、江田さんは市議を辞されてからも今も元気で種々活躍されている。お二人とも市議を離れて20年以上になるはずだが、今でも実積と人柄の評価が高いのには驚かされる。「私は井上さんと江田としおさんと同期なんです」と水を向けると堰を切ったように、古き良き思い出話が皆一様に溢れてくる。20年も昔の議員の評価が今も口をついて出る例はあまり聞かない。
井上さんといえば当時、議員野球で生まれて初めてバットを持ったというので握り方を教えてあげた記憶があるが、ようやくバットにボールが当たったと思ったら一塁ではなく三塁に走っていったことがあった。地元の人も見に行っていたのだそうで、そのことも懐かしそうに話す人がいたが地元の誰からも愛されていた精ちゃん(井上さんの事を誰もがそう呼んでいた)は精一杯の人生を全うされた方だと思う。
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2016.04.23
芸能人の募金やボランテア活動に対してネット上で批判が殺到しているという。唯々、売名行為という一点をとらえての攻撃のようだ。杉良太郎さんは自身の同様の攻撃に対し、「そう売名行為なんだよ。みんなもどんどんやろうじゃないの」と開き直ったそうだ。私は海外で氏が旧日本兵の慰霊碑をあちこちに建立したり、思想信条を超えた奉仕活動をしているのを見聞きしてきて、つまらぬ誹謗中傷がドーンとすっとんでしまうほどの事業数と金額の前に誰も正面切った批判などできはしまい、と思っている。氏はスケール大きな人だと思う。杉さんが言うように、開きなおって熊本支援をどんどん私もやっていきたいと思う。
何年か前のメルマガに書いた記憶があるが、俳優の鶴田浩二さんは特攻の生き残りではなく、見送った整備兵だったという。はっきりと自分は特攻だったとは言わなかったと思うが、そう思われても仕方ない微妙な表現をしていたのを私自身覚えている。特攻の生き残りの人々は事実を知ってはいたが、それを生前明かすことは無かったと思う。皆、鶴田さんの遺骨収集等の奉仕活動が、本気で徹底していて感謝の思いで満ちていたからの容認だったのだろう。
御両人の真心と批判を吹き飛ばす徹底ぶりが」に頭が下がる。
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2016.04.22
現在の川越市は元々の川越と隣接する9つの村が合併してできた市域を擁している。私の住む南古谷も農村知域であったが、芳野は川越で最も農業の占める割合が高いところである。田畑の面積、収入に占める農業の割合は川越で一番高いのではないか。
今ここをバイクを走らせてオルグさせてもらっているが、とてものどかでここだけは時間がゆっくりにしか進んでいないように体感している。癒されているような、穏やかな空気に包まれているような感覚がうれしい。
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2016.04.22
バイクで風を切ると、頬を走る空気に初夏の気配が感じられる。玄関の軒下に数年前から作られているツバメの巣にどうやら卵が今年も産み落とされたようで、親鳥が巣の淵からこちらをじっと見つめていた。我が家の庭の藤棚の藤の花もすでに見ごろを迎えている。あさきテニスクラブの庭の木々の葉も日増しに数をまし,1葉1葉各々が赤子が両手を大きく広げるように葉の面積を広げている。小枝と小枝の間には、所々に蜘蛛が巣を張り始めてきた。いよいよ初夏の到来である。
体の奥のほうからわくわく感が漲ってきている。季節の勢いに便乗しようと思う。
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2016.04.18
川越駅頭とその周辺での募金活動を孫も引き連れて展開させていただいた。募金活動にはもう50年も参加してきたが、募金箱を持つ成人男性よりも成人女性へ、、成人女性よりも子供たちの募金箱により多くの寄付金が集まる傾向は、時代を超えて変わらない傾向である。小3,小6の孫と、娘史子の友人の御嬢さん小6の子供さんも参加してくれ思いのほか、多額の御寄附を御協力頂けたことはありがたかった。全額の6万5000円余は早速、日赤に今日、娘史子から振り込ませていただいた。自分にできる何かを継続して考えていきたいと思う。
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2016.04.17
一時間で街中だと100軒の訪問が可能だが、農村部では4時間で100軒ほどの訪問しかできない。しかし、村部では暮らしぶりの事や市政、国政のことなど盛り沢山な話題で盛り上がることが多い。そこで、自分の頭を切り替えオルグの効率を求めるのではなく、種々の情報収集と意見交換を楽しませてもらうこととした。なんとオルグの楽しいことか。
一方、現実の問題として農家では公道から市道を通り母屋までの距離が長く、徒歩だとかなり時間がかかり体力を消耗するという問題もある。もう一か月も前になるが、中古でヘルメット不要の三輪バイクを友人の自動車屋さんにお願いしておいた。これだと時間的ロスが省けるはずだ。
昨日、そのバイクと同時にお願いしてあった街宣車が届いた。なんという強力な助っ人だろうか。バイクは法的には普通車となっているんだそうで驚きだが形状は、バイクそのものである。真っ赤にペイントされたわが愛車は、期待以上の者だったので早速、孫に自慢げに披露したら「なんだかピザ屋さんみたい」と言われてしまった。いやこれでいい、これでいいと本気で私は喜んでいるのだが、その心は‘‘
政治家は目立たなくては‘‘との思いがあるからである。
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2016.04.15
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また被災された皆様にお見舞い申し上げます。
明日はわが地に、明日はわが身に、の思いで駅頭に仲間と立ちます。
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2016.04.07
大正ロマン道り、中央道り、そして一番街を歩いていて思わず、忝さで目頭があつくなった。川越の観光客が年間660万人といわれても実感が掴めなかったが、土日、平日を含めて数日間、自身で歩き尽くしてその数字の意味がわかってきたような気がする。とくに週末の人出は夥しく人々は車道擦れ擦れを注意なく、行き交っている。
日本全国、多くの商店街が人さびしくシャッター道り化している時代に在ってこの賑わいは奇跡的にも思える。多くの先人が積み重ねてこられた礎のうえに、我々の今日があることに思いを馳しておかなければならない。ありがたい、ありがたいと独り言ちて私は数日間歩き続けた。
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2016.04.04
一般社団法人 プレシャスライフ主催の討論会にパネラーとして出席した。人と動物地球を守ることをテーマに活動を続けるこの団体とのご縁は、動物愛護運動のつながりである。昨日の企画はピアノと歌、語りを見事に融合させたショウの後にパネルディスカッションという組立であった。バイク事故で体の半分を火傷し顔面を崩してしまった古市さんの壮絶な半生を歌手AKIRAさんが自作の音楽とコラボして歌い上げ、多くの観衆が滂沱として涙を落とし感動に打ち震えていた。そうした後での討論だったのでそのまま緊張が引き継がれていた。
命、環境、動物について語ってほしいという注文にどれくらい答えられたか判らないが
自分なりに話させてもらった。歌手AKIRAさんの歌の歌詞にあった「私は光、私はあなた、わたしは神」というフレーズに感動を覚えたので、この言葉に繋いだはなしをさせてもらった。
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2015.12.31
先述したノーベル平和賞の授賞式に通訳として出席した友人の桐蔭横浜大学の阿部憲二準教授夫妻と会食した。凡そ5年をかけて実現した被爆者の方を権威ある国際舞台に派遣しようという目標、夢を実現したことを互いに喜び合った食事会であった。オスロからの細かい帰国報告も聞かせてもらったが、お連れしたお二人が80前後のご高齢であったので先ずは無事に帰ってこれたことに安堵した。そして継続は力なりだねと、三人で静かに乾杯して喜び合った。
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