世界連邦埼玉県支部 | 山根りゅうじ


徒然に

徒然に一覧

2016.05.16
三文の徳  得?

朝の散歩でほぼ毎日訪れているテニスコートの庭。この庭の小さな木立の空間は日々変化する様々な生きる者たちの息吹があふれている。さほど広いわけではないが、静かに瞑想しているとき思いがけない光景に出会うことが度々である。論語を毎日読む人や、朝夕お経をあげるお坊さんがおなじ典籍を毎日読んでいても新たな発見や、感動を味わえるように。

庭には半径5~6Mの池が掘られているが、その池の水面に身を乗り出すように柘榴(ざくろ)の幹が突き出ている。今、少しずつ真紅の花を咲かせ始めてきたこの古木は、布を絞ったように幹が何層にも捻じれている。同じく池の辺りに巍々として大木に育ちつつある欅(けやき)の繁った葉の間から差し込んでくる朝の光が、風に揺れる葉に弄ばれるように柘榴の幹の上をクルクル回る走馬灯みたいに明暗を繰り返しながら、撫でるように揺れている。
見様によっては艶めかしくも移るこの老木の幹の上の光の動きは、暫し妄想を掻き立てる妖しい囁きのようにも思えてくる。光は直線でもなく、歪みでもなく、曲線でもなく融通無碍、自由自在にこの社会で営みを繰り広げている。
さあ~今日も癒しの光を受けながら、オルグに出発としよう。
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2016.05.14
舛添都知事の政治資金問題から

私が代議士の秘書となったのは昭和45年であり、小沢一郎、羽田孜,渡辺恒三
といったそうそうたる政治家が昭和44年に当選されて数か月経った頃である。当時、私が仕えたのは旧民社党の代議士であった。それでも他党の秘書の人たちとも若干の交流はあり、様々な情報は届いていた。衆院の秘書は約3年、参院の秘書は6年勤めてきたので生々しい裏情報とやらも嫌でも耳に入ってきた。
そこで一番感じたのは、与党と野党の政治文化の違いであった。衆議院解散となれば県会議員にはいくら、市町村議員にはいくら、といった金が与党では当然のようにばらまかれていたという。また、秘書も無給で仕える人もいたが皆、世話活動で自ら収入を得ていたようだ。つまり今でいう口ききということだろう。さらに地方議員に立候補する際にも地元代議士にお包みを届けたりするのも当然のこととして行なわれていたようだ。しかし、世間も当時、マスコミも含め政界とはそんなとこ、といった受け止め方をしていて問題視する人はいなかった。政治家と金の許容基準は法律以前に時代の風潮によって大きく変わってくる、というのが本当のところだろう。都知事とは参議院の同期生であり、私にとり身近な人なので批判しづらいが時代感覚が少しずれていたのかもしれない。
世界でも日本でも格差解消の決定打は情報開示にあると思うが、一部の人の醜聞で世間は批判眼で政治家の金銭問題を扱いがちだが、この際、全体を俯瞰しどの程度の政治家を国民は求めその代償として、どの程度の報酬を拠出すべきなのかを冷静に客観的に検討してみてはいかがなものだろうか。

2016.05.07
子供の育ち方

 二人の子供を育て、今また二人の孫を育てているがこの頃、同じ兄妹・姉妹で同じ環境、同じ愛情を注いでも性格等が全く異なるのは、親や家庭の影響とは別に持って生まれた個性に依るのだろう、と思うようになってきた。もっと突っ込んだ言い方をすれば、DNAに依るというより、子が自分で行ってみたい親のところに降りてきていると考えた方がスッキリ理解できるような気がする。そう考えると、親は子供からの責任から解放されるのではないか。もちろん教育や躾けなど一定の責務は親にありこれを全うすべきではあるのだがこれをクリアーすれば、全ては子自身の良くも悪くも自業自得ということなのではないか、と考えるようになってきた。あとは遠くから祈るように暖かく見守っていけばよいだろう、と。

2016.05.06
子供の日の一日

急遽、子供(孫)の送り迎え係をすることとなった。娘、ふみ子が青年会議所のイベントで昭和のファッションショーを企画し責任者だったこともあり、子供にも見てもらいたい思いだったので私がアッシーになり女房と孫を乗せて会場近くまで運んだ。周辺の駐車場はどこも満車で送った後は家にそのままUターンした。私もできれば見学したかったが終日アッシーに徹した。また、上の孫の方が風邪のひきはじめの症状が出ていたので、こっちのケアーもしたりと結構多忙な一日だった。
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2016.05.02
ゴールデンウイークの過ごし方

 孫にどう付き合うかが、この週の過ごし方になる。1~2日温泉でも行くことになるのかと思っていたら計画では日帰りコースの提示が一つだけであった。秋葉原への買い物へのお付き合いである。私が買い物嫌いなのは知っているので、私への要望は結局ゼロとなり放免されたのだが、活動はエンドレスでルーチンワークがしっかり待っていてくれている。今晩も街頭演説11回をこなして今キーボードをたたいている。

2016.05.01
2000回演説のスタート

 10万軒の訪問と2000回の演説を年内の活動目標としているが、その街頭演説が今日からスタートである。苦しくとも自分で決めた目標なので楽しくもある。演説内容はまだ固まっておらず、これから地域にあった話にしていかなければならないだろう。今日の10回の演説は5分から10分かかっているが、5~6分が聞きやすいとスタッフから言われた。数字目標は、心のどこかにある怠け心を粉砕してくれるものだ。
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2016.04.29
三輪オートバイの運転作法

 時速30キロを出すのがやっとだったが、漸くこの頃では広い道なら40キロも出せる勇気が湧いてきた。それでも安全第一で走っているので、ほかの車とスピードを競うようなことは無い。私のバイクは真紅のペイントなのでピザ屋さんか郵便配達のバイクと見間違えられることが多く、どうせスピードを出しはすまいと見くびられているのか、50CCのバイクもあっという間に、私を抜き去っていく。もうわたしは、どうぞどうぞの寛容の心で見送っている。
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2016.04.27
政治家のネット情報の危うさ

 このところ地方議員も含め政治家のスキャンダルを超えていくつかの事件が起こっている。その政治家を支持し投票してきた人たちの落胆は大きいにちがいない。人となりをどうして見抜けなかったのだろうか、との後悔の念は消せずにいるだろう。政治家に直接触れたりする機会もなく仕方ない面があると思う。政治家の側からは、フェースブック、ツイッターなどで自分がいかに庶民的で活動的であるかをどう伝えるかに腐心しているわけで、嘘はないが誇張は免れない。そこに合成の誤謬が生まれ、少しでも本人に触れてきた者なら誰しもにわかる程度の真実でさえ見分けられなくなる土壌がある。
 例えば、政策作りの会合に出席している写真をアップしたとして、その政治家が会議までに多大な準備をしてきた人であるのか、写真だけとって会議を直ぐに退席していたのかを判断することはできない。しかし、アップされた写真を見ると「A先生は頑張っているな」と誰でもに同じ評価をしてしまうこととなる。
 ネットはある一面を伝えてはいるが、必ずしも真実を伝えるツールとはなりえないと理解しておくことは賢明だと私は思う。できれば本人を駅頭活動をしている際になど真近に見ておいたり、少し長い書き物があれば目を通すなどしておくことで,つんのめったような判断を避けることはできると思う。

2016.04.26
初めてのROFT

 久しぶりの渋谷である。初めて欧州の街に行った時のような妙な興奮を覚え、お店のウィンドウをきょろきょろし通しだったが、結局案内されたROFTだけで買い物をすませた。買ったものは小学生の孫向けのものばかりとなった。実際、二人の孫をここに連れて来たらどんなに興奮するだろうか、などと考えながら店内を夢中で歩いた1時間だった。
 昨日の渋谷の主目的は買い物ではなく、都市づくりの専門家のT氏と会い川越の街づくりについてアドバイスをいただくことだった。渋谷にも近く超高層のビルが林立することになっているのだそうで、大きく街が変貌するらしい。そんな渋谷での新しい川越街づくりの論議は弾んだ。いずれ私の政策の中に反映させることとなる昨夜の話の意味は大きいものとなってくるかもしれない。

2016.04.25
雑感

 市議会議員時代の記憶で不確かだが、川越市内の神社仏閣の数は60~70程だったと思うが、市内をくまなく歩いていると其処かしこに林の中などにひっそりと小さな祠を散見する。静かに拝礼して退いてくるが、中にはいわれのあるところもあって今更ながら、川越の歴史文化の厚みというか、深みを味あわせてもらっている。「何事が御あしますかは知らねども
忝さに涙こぼるる」と、伊勢神宮を参拝した江戸時代の高僧がうたっていたことを思い起こすが、川越は見える、あるいは見えざる力に守られているいるようにも思えてくる。
 林の中を一人佇んでいるとまだ幼子のような数匹の蜂が、ヘリコプターの羽のように本体を見定めることができないほどブンブンとはねを震わせ空中に暫時静止し、すっと身の丈の30~50倍もある距離を
瞬間移動していた。暫し異次元に身を置き動植物に励まされる時を得るのもオルグの中の楽しみのひとつである。


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