世界連邦埼玉県支部 | 山根りゅうじ


徒然に

徒然に一覧

2016.06.16
祝 イチロー選手の通算最多安打達成

 自分の目標を口にしたときいつも笑われていたという。大リーグで首位打者になりたいといった時も同じだったという。しかし二度も達成した。自信があったに違いないが、桁違いの努力と自己管理があったればこそのことだろう。
 サッカーのワールドカップで本田選手が「誰が何といっても優勝をめざしたい」と語りながら果たせなかったが、彼の熱い意志を皆が共有できていたなら奇跡的な何かが起こったかもしれないと、私はあの時勝手に総括した。気宇壮大な目標はそれが本気でとてつもない意志と情熱で、確信を持って事に当たれば何事も実現可能というのが私の信念である。

2016.06.14
アメリカの銃乱射事件について

 今回のフロリダでの事件はテロとのことだが、何度も繰り返される銃乱射事件のたびにメルマガで書いてきたが、銃規制の法改正が行われないことは民主主義国家として異常ではないのか。全米ライフル協会の献金攻勢で政治が全く動けなくなってしまっているのだとすると、これがもっと大きな産業界、軍需産業と政界とのつながりの中で同じ事態だとするとより深刻である。つまり戦争は他国とのかかわりで行われることになるわけで、よりスケールの大きな問題となる。
 資本主義の行き着く先が戦争、というロジックに与するものではないが湾岸戦争時のジュニア ブッシュ前大統領にはその空気が私には感じられた。
 わが国の銃規制については、暴力団以外で発砲事件が起きるたびに法改正が議論されるが、実は私も議員立法で党のまとめ役として関わったことがあった。被害者団体、猟友会、学者等幅広く各界の意見を聞いたうえで法案を作り上げていったが、やはり世論や世間の空気に押されていると法案も作りやすいとその時実感した。
 アメリカと日本では歴史も違うが、国民の安心安全のためにこの際、他国のことではあるが銃規制に一歩でも踏み出すことを期待したい。

2016.06.13
太宰治のこと 

 今日の朝日の夕刊に太宰治の娘さん作家・太田治子さんのインタビュー連載の第一回の記事が載っていた。太田さんは68歳で私と同い年であり、誕生のその年に父である太宰治が入水し命を絶っている。子供のころから今日に至るまでどのように思い生きてこられたのか、同年の人間としてとても興味深い。明日以降の連載が楽しみである。今でも太宰人気は衰えることはないと思うが、かつて流行った性的人間か政治的人間かといった二分法では明らかに性的人間であった太宰を政治的人間であった人から見れば、今も当時も厳しく白眼視する人は多い。
 以前、戦前の共産党・中央委員長でありその後転向し右翼の黒幕となり実業家としても成功してきた田中清玄の自伝インタビュー本を読んだことがあった。その中に太宰について語った箇所があり散々な評価だったのを覚えている。弘前高校時代の評判について「女々しかった」とか「活動的な男でなかった」といった類のことに過ぎなかったが、いつの時代でも2種のタイプの人々はそれぞれ心を交わらせることは稀だろう。
 私自身は政治家だったのだから、政治的人間であることは間違いないがその枠にはめ込まれるとすると、心の中に少し抵抗も生まれる。自分にもある種の女々しさのあることも確かで自分では多様な人格と位置付けておきたい。

2016.06.12
ありがたい知恵者

 二人の友人のそのまた友人からのメールがきっかけで今日、元新聞記者のМ氏と川越西口の倉式珈琲店でお会いした。1時間ほど川越の街づくりについて県議でもある私の娘も交えて熱く意見を語り合った。М氏は私と会うことの意味を十二分に理解されていて事前に川越の財政を細かく調べあげた上で、観光行政のことなどを熱く語り具体的な政策提言をしてくれた。М氏は川越在住の市民でもあり生の川越を知悉していての提言であり、現実を踏まえての内容で私には美味しいご馳走をプレゼントされたようなものであった。
 以前、赴任していた地方での取材経験を基にした各種の情報も有り難かった。これからの私の政策作りに反映させていただきたいと思う。Мさん有難うございました。

2016.06.05
モハメド・アリ氏のこと

 パーキンソン病を患っても今まで得た栄光を考えれば、バランスの取れた人生、との受け止め方が凄いと思う。自暴自棄にならず前向きに生きていくたくましさに励まされた人は多いだろう。日本では長嶋茂雄さんもいる。渡哲也さんは役者としてのイメージを守りたいと一度は自死も考えたが、生を選び見事に復活されたことを思い出す。時代の寵児となった人は幸か不幸か生涯、時代を背をわされている感覚が残るものなのだろう。世間の注目を浴び続ける苦悩はいかばかりだろうか。
 アリ氏の人生はドラマそのもので、誰しもが担えるようなものでなく正に重量級の生涯であり偶然にこのような人生を生きたのでなく、考え抜き、選び抜いてこの時代に舞い降りたような気がする。

2016.06.03
大声の訳 

 「山根さんは声も大きく元気ですね」とよく言われるが、これには訳がある。以前、国会議員の時にも書いたことがあったが同居の父親の耳が遠く、大声で話さないと意思の疎通がはかれずやむなくのことであったと。父は明治25年生まれで金さん銀さんと同じ年で私が生まれたときには、56歳を数えていた。一人っ子だった私は母が亡くなると、ほとんど口をきいたことのない父と翌日から二人暮らしが始まるわけだが、食事のこと、帰宅時間のことなどお互い話さないわけにはいかなかった。そこで当時、良質の補聴器もない時代のこと、大声で語るしか方法がなくいつしか誰と話しても大きな声を発するようになってしまった。母が亡くなったとき私は21歳、父は77歳になっていた。
 母の死で暮らしは一変したが、それまで一定の距離が開いたままだった父子の関係が年月を重ねるごとに深まっていったのは、望外の意外な副産物であった。もし母が健在で父を見送っていたのなら、私と父との関係は心が交わることのないクールなもので終わっていたかもしれない。
 それが痴呆も入り、下の世話をまだ国の制度のない時代、私と妻とで数年にわたり介護するまでの父子関係になれたことは幸いなことであった。‘‘大声‘‘もまた私の政治家としての大きな武器の一つにもなった。

2016.06.01
懐かしの人々

 37年も前の最初の選挙でお世話になった方々。市議会議員時代に議論し行政の何たるかを教えてくれた市職員の皆さん。毎日、本当になつかしい人々にお会いしている。「君の選挙は随分応援させてもらったよ」「一度、本人に会ってみたかったよ」「数十年ぶりだね」等々、温かい言葉に日々、励まされている。多分もう二度と出来ない10万世帯訪問(目指すは川越全15万世帯なのだが)を通じて学べるものはあまりに大きい。川越全域を点で知り歩いてきた人は数多おられるだろうが、面で歩くことで得られる生の情報は格別なものがある。、言い換えれば暮らしの匂いを全て体で浴びることにより、より深い感性の領域に触れられるような気がしてくるのだ。
 私を最初の選挙から応援してくださった方は、皆一様にご高齢になっておられる。また、市議時代、管理職のお立場にあった市職員の皆さんも同様であるが、皆さん私の訪問を驚き喜んでくださるのを目の当たりにすると、胸に迫るものがある。訪問活動にも別の思い、何か感謝の巡礼のような思いも今、心の中に芽生え始めている。
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2016.05.30
一番の味方にも匹敵する人々

 政治団体‘‘川越市政をガラッと変える市民の党‘‘のビラにも書き自らを鼓舞したことだが、仲間だった人や身近な人、お世話してきた人、あるいは人間関係から自分なりに期待していた人々から裏切られたりすることは、政界に身を置いている限り覚悟しなくてはならないことなのだ。そう自分に言い聞かせてはいるのだがそれでも、裏切りにあえば心に傷を残すこととなる。
 ところが、人間関係もさほど深くはなかった、あるいは自分の中では認識が薄く予想だにしていなかった人が熱く
私の政治活動に協力してくださることがある。これが本当にありがたい。神様がバランスをとって下さっているようにさえ思えてくる。自分の最大の味方は誰しも自分であると思うが、また、それに匹敵する人々がいることも事実である。
 翻って、歌の歌詞、曲に励まされることもこの年になってさえ尚、あるものである。今の私には中島みゆきの‘‘ファイト‘‘がその歌で、参議院議員の時、私の秘書がこの歌を様々なイベントの際、応援歌というか、主題歌というか添え歌として使わせていただいていた。今、改めてこの歌の歌詞を思い浮かべて自分を励まし、慰めてもいる

 「 ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう ファイト!」という歌詞にカンパーイ。
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2016.05.20
ゴミの日

 我が家では私がゴミ係であるのだが、私が泊りで出張の時、ゴミ出しの日にあったていると家族は大慌てしている様子だ。6人の大所帯家族なのでゴミの集積所の中に1番ゴミを出しているのがうちだと思う。犬猫も3匹いてその分ごみ量も加算されている事情もある。今朝、私がいないので「昨日の夜からゴミの整理で大変だった」と娘の史子が言っていたが、週3回超のゴミ出しの大変さを解ってもらえたのではないかと、私は内心「よっしゃ~」の気分である。

2016.05.17
蜷川幸雄さん死去の報に接して

 埼玉県民は偶々、川口出身という縁を得て、蜷川さんにさいたま芸術劇場で高齢者による劇団を立ち上げていただき、多くの高齢者に夢や希望、励ましを与え続けてもらうことができた。テレビで葬儀の模様が伝えられていたが、埼玉の高齢俳優のインタビューが少しでも流れてほしかったと思う。それで蜷川さんの新たな社会への貢献が改めて全国的にも知られることとなった筈だ。
 女優の太地喜和子さんが生前、蜷川さんに「お願いですから俳優をやめてください。それでないと私は蜷川さんを尊敬できなくなりますから」と俳優をやめ演出一本の人生を迫った、という話をされていたのを思い出す。俳優としては1流には届かず、演出家として超1流と見抜いての進言だったのだろう。演劇人としては全く未知の人であった小栗旬、藤原竜也を早くから見出し育てた慧眼も又、蜷川さんの超Ⅰ流の証だ。
 歌手の五木ひろしを見出した山口洋子さんは、テレビの10人抜き歌番組で「この人には男の色気を感じます。…・私しかわからないかもしれませんが」とその時評していたのを覚えている。この番組で10人勝ち抜きを達成しⅠ流の歌手としての階段を駆け抜けていかれたわけだが、あの時、私には五木さんの色気なるものが全く理解できずにいたが、その後の活躍ぶりから次第に解るようになってきた。各界の超1流といわれる人々には若手の可能性を見出し、引き出す才能も又、備わっているのかもしれない。
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