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2016.08.03
早寝早起きをしようと、今朝、4時過ぎに起き4時半にジルを連れて散歩に出かけた。もう畑で収穫している人や、私と同じく犬を連れ散歩している人もいた。いつものようにテニスコートに行ったら、コートにはピーピー泣きながら数十羽のムクドリや雀が舞い降りていて、何やら餌を物色しているようだった。庭の木々の小鳥たちも起きたての元気な声を張り上げていた。明日もこの景色を満喫することとしよう。
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2016.07.31
市内の盆踊りに招待を受け受付に行き名刺を差し出すと「先ほど妹さんが来られ挨拶していただきました」と言われた。娘の史子を妹と間違えたわけで、私が若く見えたのか、娘が老けて見えたのかわからないが、まあここは私が若く見えたことにしておきたい。地元南古谷ではありえない間違いだが、まだ知名度、認識度が低いということでもある。
それでもまれに、一緒にいると「奥さんですか」とは何度か言われている。今回の場合、お酒も入っていて思わず口にしてしまった、というところなのだろうが、私には嬉しいお見立てであった。
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2016.07.30
12時前後は日陰がなく熱中症に注意しなくてはならない。朝の内か夕方になってからでないと、べた歩きの訪問活動は避けたい。しかし、今日は夕方に来客があり1時過ぎからの活動となりかなり厳しかった。もうネクタイは汗でグチョグチョになってしまうのでループタイにしている。冷凍庫に入れカチカチになったボトルを手拭に巻いてオルグ用バックにほうり込んでおくと、少しずつ溶けてくるが、このお茶を飲むのが、堪らなく命の液体となる。
都知事選で小池候補が首にクールグッズを巻いていたが、効果があるなら私も使ってみたい。寒さは動けば体も多少暖かくなってくるが、夏の猛暑は色々工夫が必要である。暑さ対策でいい情報があれば、ご一報いただければありがたいです。
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2016.07.29
吉永小百合や中村紘子さんは、我々世代の憧れの雲の上の人であった。中村さんのご主人、作家の庄司薫さんもそんな一人で小説の中で、中村さんのことを書き、それを読んだ中村さんが庄司さんに出版社を通じてコンタクトを取り結婚へとつながっていった。そんなやりかた狡いよな、と思ったものだが、所詮少し歳も違いレベルも違うよなと、意味もなく自分を納得させていたのを憶えている。
そんな中村さんとお話しさせていただく機会が奇跡的に起こった。私が与党だった民主党の企業団体委員長の役職にあったとき、著作権のことで陳情をお受けしたのだ。一通りの要件を済ませたところで、2~3音楽家のことなどで私的な質問をさせて頂いたが、びっくりするほど率直にお答えいただけ、感激した。
どんな業績を残した人でも、どれほどの財を成した人でも、どんなに美しい人でも 寿命があり今生から離れていくのが必定なのだなと、改めて感慨を覚える。
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2016.07.28
この方は、与野党を問わず信頼を得ている人格者だと思う。今、このときに第一線から引くことは、国家的損失かもしれない。趣味を超えるレベルで自転車を走らせてこられたが、幹事長をしていても続けていたとは知らなかった。結果論だが、与党幹事長の役職にある時は自重していてほしかった。一般車道を走る自転車は車運転手の立場からは、危うい乗り物に映ることは間違いない。私も30年ほど前、競輪用自転車と車で接触したことがあった。このときは大事に至らず安堵したが、爾来、この種の自転車を追い越すときは、かなりの空間を置いて慎重に抜き去ることにしている。
谷垣さんとはいくつかの思い出があるが、私が参院の財政金融委員会に籍を置き一般質問をしたとき、財務大臣としての答弁で気遣いのある良い答弁をしてくれたことが印象深い。一日も早い全快を心からお祈りしたい。
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2016.07.26
先日の新聞報道で元チェコスロバキア代表の体操選手、東京五輪金メダリスト、チャスラフスカさんが癌に冒され余命宣告を受けているのだという。非常にショックを受けた。
2011年に亡くなったハベル・チェコ前大統領の葬儀に日本を代表して参加した時、チャスラフスカさんが態々、私の滞在先までチェコの日本親善協会会長として挨拶に来て下さった。
私は「あのチャスラフスカさんなのだ」と緊張してお会いしたが、直ぐに打ちとけ、様々なお話をすることができた。体操選手をしていたという綺麗なお嬢さんと、秘書役のようなカメラマン男性と3人でおいで頂いたが、気どることもなく、本当にフランクにお話しできたのは、私の生涯の大切な思い出のひとつである。
チャさんは、私が高校2年の時の東京オリンピックでのテレビ映像からの印象で、芯の強い、それでいて物静かな人だと思っていたが、とても明るく何かはしゃぐように終始、楽しく語られる方であった。
「昔とてもお綺麗でしたね」と言ったら、件の男性が「今でもお綺麗ですよ」と言ってきたので「そうですよね」と私も笑って応じた。
「2020年の東京オリンピックは雲の上(霊界)から応援します」と発言されたと報道されているが、日本の医療をもってしても救済できないのだろうか。何とか、何とかと天に祈りたい。
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2016.07.23
国会議員時代、平日は原則毎日メルマガを書いてきた。読者からは「ゴーストライターがいるんでしょ」と随分言われたりして、それがまた私をいい気持ちにさせてくれたお蔭で約12年間続けてくることができた。そして今、ブログにつながり、ツイッターから更にフェースブックへと情報手段を拡大させてもらっている。
メルマガの時はレポート用紙に手書きの原稿を渡し、スタッフにパソコンで入力してもらっていたが、パソコン教室に通い家では面倒臭そうな顔をされながら息子や娘に教えてもらい、今では自分でパソコンを駆使している。苦手なものは苦手なのだが、少しづつ今生の内に克服すべきものは克服しておきたいと思う。自分に鞭打つように前に進むことを
策進というが、正にそんな心境である。
「ポケモンのゲームソフトが売り出されるけど、ああいうの時間の無駄だよね」と娘に言ったら「そんなこと言ってるから時代に取り残されちゃうんじゃない」と言われ黙り込むしかなかった。
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2016.07.22
ロシア選手の五輪参加問題については、チェックしたうえで白と思われる選手は出場を認められないのだろうか。種々の事情を知らないので無責任なことは言えないが、参加できない白組の選手の思いを忖度すると同情を禁じ得ない。五輪の参加不参加でこれからの人生が大きく変わってくる人も多いことだろう。私が記憶している一番古い五輪は1956年のメルボルン五輪で水泳・山中選手の力泳をラジオで聞いていたのを憶えている。このころから大国ほどメダルを取っていくものとの認識があった。1964年の東京五輪の時、金メダルを15個取ったと記憶しているが高校2年だったが、これからの日本の発展を予感させられてとても嬉しかったものだ。
しかし後年、国家の威信をかけた戦いの陰で薬物により選手の、その後の人生で背をわされた健康被害の悲惨な実態や、独裁国家や全体主義国家における選手への過剰な圧力による精神障害などを知るにつけ、五輪におけるメダル獲得の意味はいったい何なのかと考えさせられるようになった。
メダル獲得で特別年金を受給したり、国家の英雄として名誉と生涯生活を保障され豊かな人生を送った人も多いだろうが、国の違いによる選手間のあまりの格差に何か一人納得できないでいる。ちなみに、誰も問題意識を持たないでいると思うが、大リーグの選手の年俸にしても10億円を超えたらもういいでしょ、と思う。20億30億になったところでそれだけ幸せ感が増すとは思えないのだ。スポーツ選手の年俸については、格差という視点がまったく認識されていないのは私には異常に思える。日本はまだしも極端に走っていないが、それでも欧米の在り方に少しずつにじり寄ってきているのは心配である。スポーツ界全体の問題として議論できないだろうか。多くの人が莫大な年俸が当たり前のこととして受け取っていていいのだろうか。
選手待遇の底上げや、斯界発展への還流、社会への還元等々、考えていくべきではないのか。そうした運動が迂遠だがテロ防止にもつながってくるようにも私は思えてならない。
CAT1
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2016.07.20
舛添さん、大仁田さん、巨泉さんの三人が大人気だった2001年の参院選挙で私も初当選させてもらった。党は違っても同期としての仲間意識を皆持っていたが、15年の歳月でお互い生きる土俵が違ってきた。
さて、思い出話だが、巨泉さんはもう最初から当選確実の人で、大宮駅駅頭で私の応援演説をしてくれた。その時に私に最初にかけてくれた言葉は、街宣車の上で、一緒にいた江本孟紀さん(元阪神タイガース)と「山根さんは、新人とは思えない。演説がうまいね~」と異口同音に言ってくれた褒め言葉だった。当選後、民主党の同期で2001年にちなみ「おーいかい」という飲み会を作った。そこに巨泉さんも参加していたが、人並み外れたパワーを体中から発散していて、すごい人物だなとの印象を誰しもが持ったのではないか。どんな話にも乗ってきて博識だった。そして多弁この上なかった。明石家さんまさんのように話が止まることはなかった。
ご冥福を心からお祈りさせていただきます。
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2016.07.15
二日間、傘を差さず雨中の中をオルグに歩いた。スタート時点は
曇り空だったのだが、にわか雨が降りだし水浸しになった。一昨日はちょうど区切りのよいところだったので早々に切り上げたのだが、昨日は雷雨に見舞われてから30分程、ずぶ濡れになりながらも訪問活動を続けた。器材がすっかり濡れて使えなくなってきたので、活動を終え車に戻り家まで運転してきたのだが、急に体が震え始め体温計を計ったら38度5分に上がっていた。ブログを書かなければと思いつつ早めに布団に入ったらもう起き上がれる状態ではなかった。そんなわけで昨日はブログの更新ができなかった。
朝になったらすっかり熱も引き元に戻ったが、さすがに今日は雨天の中、歩く気になれなかった。しかし、知人にお願いしていた福祉行政に関する資料と提言が纏まったとの連絡を受け車を走らせ取りに伺うことができ有効な時間を過ごすことができた。
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