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2016.03.22
娘、史子の県議会報告書を市民の皆さんにお届けさせていただきながら、様々なご意見やご要望を聞かせていただくことがありました。川越の将来を心配されるご意見、切実な生活苦のお訴え、等々のお声の中で私は自然と私にできることが多々あるのではないか、と考えるようになってきました。市議、県議、国会議員としての経験と知識、情報と人脈を生かして地元川越に御恩返しするのが私の天命であるとすれば躊躇すべきではないとの思いは日増しに高まり、沸騰点を超えたので、内外に私の熱い思いを吐露させていただきました。それが昨日、今日の新聞報道に繋がりました。
、暫くパソコンが不調でブログが更新できませんでしたが、新しいものに買い替え今日から新たなスタートを切らせていただきます。
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2016.03.03
民主党 クリントン候補と共和党
トランプ候補との戦いとなれば、クリントン候補の圧勝で選挙は終わるのだろう。それにしてもトランプ氏と橋下大阪市長とイメージが重なって仕方ない。
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2016.03.02
先般、家族で世界遺産に登録された富岡製糸場を見学してきた。やはり現場を見て初めて知ることばかりで、感銘を受けて帰ってきた。明治初めに我が国の近代化にいかにこの工場が貢献したのか、展示資料と丁寧な説明員の方の話でよく理解できたように思う。製糸場がこの地に決まるまで、埼玉も候補地の一つだったとの説明があったので「それは埼玉の何処だったのですか」と質問したが、明快な答えは頂けなかったが事実上の決定権者だったフランス人のブリュナーの頭には数か所の候補地があったが、最初から富岡に決め込んでいたふしがあったようだとの説明だった。
私はもう一つ「工場を設立し技術指導してフランスに帰ったブリュナはその後どのような人生を送ったのですか」と質問させてもらった。彼はその後、中国に渡り技術指導し、日本にも立ち寄った後、帰国し二年後病死しているとのことであった。日本では敷地内に大きな洋館を提供され家族といっしょに暮らし、当時の大臣と同程度の俸給をうけていた彼の日本での五年間は幸福だったのだろうか、などと思いを巡らし製紙場の門を後にした。
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2016.02.19
東京の現代美術館へ行ってきた。新聞報道で知り初めてオノヨーコさんの作品を見てきたが、率直に言って
芸術性の高い作品を見つけることはできなかった。贔屓目に見て精々、思想的アッピールを感じることができたに過ぎない。メッセージ性は高いがそれ以上のものではなかったというのが、きついが私の感想であった。
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2016.01.08
この標語は若い官僚か、官邸の若手政治家がネーミングしたに違いない。民主党の「誰でもが、居場所と出番を」のフレーズに替わるものを、との思いがありありである。マスコミはそのまま使わざるを得ないが首を傾げた報道陣も多かったのではないか。
私が何故、若い人の発想では、と訝るかというと、高齢者には重く圧し掛かってくるようで違和感を覚えるからである。年をとってももっと頑張りたい、と思っている人には励みにもなるだろうが、ゆっくり静かに暮らしていきたい、と思っている人には余計なお世話、といった感覚があるはずである。若く元気な時では解らなかった肉体の変化、老いの兆し。心の変化、諦念。こういった経験は年を重ねてこそのものであり、新たな人生の発見でもあり、忌み嫌う必要はない。勝新太郎が病に伏せ、忍び寄る死に恐れることもなく手鏡で自身の顔を食い入るように見入って、役者として「死に行く人間の顔を見届けておきたい」といったそうだが、高齢な者の中にも老いの過程を楽しむ輩がいることに多くの若者が気ずくことはない。「居場所があれば結構、納得の老後」と思う高齢者は多いはずである。
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