世界連邦埼玉県支部 | 山根りゅうじ


徒然に

2016年8月の記事一覧

2016.08.21
感動の提案

 市政改革案作りの会議を行ったが、毎回、誰かが前回会議後に色々調査されたり考えられたものをまとめた資料を出してきてくれる。これがまた中身が濃く私が思いもつかなかった事が盛りだくさんで、心が有り難さで熱くなってくる。街づくり、市政改革を議論しているとあっという間に時間が飛んで行ってしまう。若い政治活動家だったころよりも熱く、内容のある議論を展開することは楽しい。 
 サミエル・ウルマンの<青春>という詩を思い出すが、メンバーはほとんどが高齢者であるがそれだけに知識・経験が豊富で説得力ある発言ばかりで本当にありがたい。 

2016.08.20
爺さんの在り方

 自分がどう変われば、相手がどう変わるかというのを今実験中である。一番解かり易いのは、家族、それも小さい子供相手の時だ。小6と小3の孫に暫く一切怒らないでおこうと今自制している。片付けのことでも一度は注意するが、それでだめなら放っておくことにしてみた。すると「あっ片づけなくっちゃ」と言って行動を起こすようになってきた。しかしまだ実験中のことで、これが一時的現象なのか、根本的な変化となってきたのかはまだ確信が持てない。 
 爺さんと孫との適切な距離、言葉の言い回し、間合いを何とかマスターしてみようと今勝手に自分で試している。新しい人生の挑戦の一つであり少しわくわく感がある。 

2016.08.19
米国の核先制不使用宣言について

 オバマ大統領が検討しているという。核超大国のアメリカが宣誓すればどんな影響が出てくるのか予測は難しい。北朝鮮のような国の理解はどう読み解けるだろうか。抑止とは平たくは睨みを利かせる軍事力のことである。この睨みの力が低下すれば暴発する国が出てくるかもしれない。東西冷戦が終わった途端、平和が世界に訪れたのではなく混乱、殺戮が世界中で勃発した。私は理想主義者だと自分では思っているが、それでも現実を直視していかなければならないと思ってもいる。それが現実政治家の責任だろう。 
 難しいことではあるが、私の思いついた提案は、アメリカが主導し核保有国が一堂に集まりそこで一斉に核の先制不使用宣言を出させてはどうだろうか。実現すれば核保有の意味を全く新しい視点で考え直す機会となるのではないか。反対する国が出てきたらそれはそれで反平和国家として炙り出されてくることとなり、イメージダウンは避けられないだろう。核廃絶に覚悟をアメリカが示しつつ、世界に揺さぶりをかける。それこそ世界で唯一原爆を使用した国の責任と 始末のつけ方の一つと私は考える。 
 

2016.08.18
雨中の第二ラウンド 

 訪問活動をいざ開始しようとした矢先、雨が本格的に降り出してきてしまった。30分もかけてきた目的地である。このまま帰るのは惜しい気がして雨のやむのを期待して暫く待ってみることにした。すると30分ほどで止んできたので早速活動開始。ところが1時間たった頃、また雨がさらに激しく降り始めた。これはもう引き上げようと決断せざるを得なかった。事務所に戻り事務仕事をかたずけていたらまた、晴れ間が見えてきた。そこで、ネットでピンポイントの天気予報を確認したら何とか曇天のまま持ちそうなので、思い切って第二ラウンドの訪問活動に出発することとした。 
 ところが現地に近ずくとまた雨がぽつぽつ降りだしてきた。しかし、ピンポイントの予報はすごい。現地に着くと雨はピタリと止んでいた。それから2時間、活動を展開できたわけだが、なにか今日は、お天気に自分の気力を試されていたような気がする 

2016.08.17
久し振りの孫二人とのアサデニ

 小3の朱里とは時々二人で朝食をデニーズで摂っているが、いつもは断る花美も今日はついてきて久しぶりの三人での朝食となった。食事が運ばれてくるまでの間、三人で色々なおしゃべりを楽しもうと思っていたら着席するなりゲームに夢中でそれどころでないといった様子だった。何がそんなに楽しいのかなどと考えてはいけない、と自分に言い聞かせて一人で考え事をすることにした。 
 ようやく食事が運ばれてきて子供たちも顔をあげ「うわーおいしそう。ぜんぶたべられるかな~」などと話し始めた。二人とも少し量が多かったみたいで完食とはいかず、私に残り分を回してきた。いやいや自分はダイエット中なのだと断ればよかったのだが、じっとこっちを見て私が平らげるのを待ってる風だったので、ここは男気を見せなくてはなどと見栄を張りお陰で家に帰ったら 
下痢状況となってしまった。下痢から痔へと状況はさらに悪化、何ともつまらぬ見栄の代償は大きすぎた。 

2016.08.16
基準の危うさ

 この数回のオリンピックでメダルのトータル数が活躍度合いのバロメーターとなってきたが、それまでは金メダルの数を評価基準にしていた。野球でも打率を評価基準としていたが、イチローが安打数を自身で評価基準にし始めたためマスコミも後追いで基準を変更してきた。 
 私は国家の評価も世界の市民レベルで変えていったらいいと思う。喧嘩が強いという戦争力、金持ちであるという経済力、威張っていられるという政治力を評価の基準とするのではなく、国民の幸せ度、他国への貢献度、好かれ度合・被尊敬度合、品格等を評価の基準として世界中の市民団体が評価結果をまずは発表していったらどうだろうか。そして世界中の指導者も無視できなくなるまでにこうした基準を喧伝していったらいい。中国の時代錯誤の膨張主義はブーメランのように自国に災いをもたらすこととなるが、咽喉もとの熱さ過ぎればまた同じことを繰り返すだろうから、この新基準を頭に中国の指導者層は国家運営を図ってもらいたいものである。
 中国のような大国が変われば直ちに世界は変わる。中国が善政に目覚めれば真に世界のトップリーダーになっていける。孔子を輩出した国である。出でよ鉄人政治家。

2016.08.15
我が家の戦争とくらし

 異母兄弟の長男が中国で戦病死している。終戦の翌年昭和21年のことである。父の先妻は病死しているが、戦後、再婚した父の後妻との間に生まれたのが私で一人っ子である。異母兄弟は6人だが皆からは戦病死した長男に顔と雰囲気、話し方までもがそっくりと言われたりしていた。確かに写真を見ると外見が似ている。その兄の遺族年金は父におりてきて、死んでも親孝行していると兄弟皆がよくいっていた。乏しい収入の中で遺族年金は有り難かったに違いない。 
 東京大空襲のことなど無口な父に代わり母がよく話していた。防空壕のこと、焼夷弾の恐怖、爆撃機B29のこと・・・。色々な話の中で戦争の恐ろしさを覚えつつも、私には戦病死した兄のことがいつも年金と付いてイメージされてきた。兄はどんな人だったのか、私とどう似ていたのか、もしかしたら自分は兄の転生なのか、そんな思いを8月15日に巡らせることも度々であった。 

2016.08.14
邂逅(かいこう=おもいがけなくであう)の人

 川越駅東口での活動では、久闊の人々との出会いもまた楽しみの一つである。朝の駅立ちではお勤めに出られる人との出会いだが、土日、休日の駅頭では定年を過ぎた方や、主婦の方、市外から来られる方もいるので東京での知人や数十年ぶりといった人との出会いもある。立ったまま長話になったりもするが、活動が一時停止状態になるのだが、これも人生の美味しい果実として楽しませてもらっている。
 さて、今日はなんと川合市長と出会った。にこやかに「頑張ってください」と言われ、何の逡巡もなく握手をした。微妙な一瞬なのだろうが、心に何のよどみもなく直ぐに日常へと時が流れた。 

2016.08.13
晩夏の風

 11時前から12時過ぎまで川越駅頭に立ったが、確かに暑くはあった。しかし4~5日前の猛暑とは違ってきた。4時半を過ぎると真夏でも日陰に走る風が心地よいのだが、今日の夕方の風は秋のおとずれを感じさせてくれるほどの涼しさであった。猛暑を避け4時からのオルグ開始としていたが、午後一番からのスタートとなる日もそう遠くなさそうだ。 
 今日で本庁管内のオルグが終了した。活動家として大きな山の登頂を果たしたような達成感がある。この二年ほどで高階地区、南古谷地区、芳野地区、本庁管内の原則全戸を娘の議会報告書、あるいは私の市政改革の提言書を一戸一戸ほうもんしおとどけする活動を展開してきた。この他、山田地区、霞が関地区の一部の訪問を果たしているが、正念場はこれからとなる。 間違って二度訪問してしまったところ、伺ったつもりで未訪問となっているところもあるだろうが、一応自分としては全戸自身で歩いてきたという達成感がある。 
 よく政治仲間からは「お前は運がいい男だ」と言われるが、その通りだと思う。しかし、運を引き寄せるためにはいくつもの術があると思う。その一つは人から見て桁違いの努力を重ねることだと私は思っている。2年半で自身による10万戸訪問を果たせば、川越15万戸の3分の2を訪問したこととなり私は自分をほめはしないが、自分を呑みに連れてってやるくらいのことをしてやりたいとおもう。

2016.08.12
命の終焉

 蝉があちこちに死体をさらし、ミミズが僅か3メートルのアソファルトの道を横断できず命尽き日干しにされ、その上に蟻が群がっている。トカゲも車に轢かれでもしたのだろうか、乾ききり白色化した屍が見捨てられたように晒されている。歩車道分離帯の端に堅いアソファルトを突き破って出てきた名も知れぬ草花も花をしばらく咲かせた後は、枯れ果てていた。じりじりと照りつく夏の日差しは残酷である。 
 今でこそ孤独死が決して例外ではなくなっているが、多くの人は家族に癒され、励まされ、見守られ、惜しまれて旅立っていった。犬の散歩で見る身近な動植物の死の現実を目の当たりにして,この年だからこその感慨ではないが人と生まれてきたからこその臨終の有り難さを改めて感じ入っている。
 動植物は人間のような死への恐れや不安、生への執着はないのだろうか。晩夏の今、政治活動に明け暮れる時を過ごしていても尚、生と死を絶えず思わずにいられない癖は、若い頃から変わらない私の習性である。 


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