世界連邦埼玉県支部 | 山根りゅうじ


徒然に

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2014.02.17
前参議院山根りゅうじメルマガ[Vol.12]

 沢木耕太郎の“流星ひとつ”を読んだ。もう34年前の藤圭子へのロングインタビュウを纏めたものだ。ちょうど引退を発表して間もないころの取材で、どうして引退しなければならなかったのか、これを読んでよく理解できたが、当時の報道では何が何だか訳が分からなかったのを憶えている。具体的には喉の手術をしてしまい澄んだ声がでるようになったが、以前のかすれた声がでなくなってしまいもう、自分は藤圭子ではなくなってしまったことで引退をせざるを得なくなってしまったとのことであった。素直に頷ける理由だった。また芸能界の眉根をよせるような出来事も書かれていて、野次馬的な感覚からは興味をそそられるような内容も記録されている。
 幼少年期における両親の不和、貧困、家庭内暴力、盲目という母親のハンディ等々があのどこか蕭条とした彼女の空気を作ってきたのだろう。沢木氏への信頼、人間的魅力があってのことだろうが、率直に自分を曝け出している藤圭子と言う人の魅力が溢れんばかりにこのインタビュウには出ている。
お師匠さん、大恩人ともいうべき作詞作曲家の 沢井氏こと、石坂まさおさんのことも思いやりを持って率直に語っている。、私自身、個人的に2度、いっしょに石坂さんと飲んだことがあるが、その時に受けた印象は、正に彼女が語ったとうりの人物だった気がする。
 もうかなわぬ事だが、1度、藤圭子と言う人と酒を飲んでみたかった。

2014.02.16
孫との語らい[Vol.43]

 大雪の後の残雪で遊んで帰宅してから、寛いでいた時、鼻くそを朱里がほじくっているのを見てしまったので「汚いからティシュを使いな」と注意すると何事もなかったかのようにツカツカと私のところに来て、鼻をほじくっていた人差し指を私の手の甲に擦り付けて行ったが、私の手の甲にはなにもついてはいなかった。其れを見ていた美樹子が「隆治さんには、なにをやっても怒らないという自信があるんだね」と言ったが、そういうことなんだろう。そして、朱里にしてみれば,こうしたみえよがしの行為は、家族への誇らしげな自慢でもあるのだろう。自分へのわたし・山根隆治の絶対的な愛の証であるという。

2014.02.16
前参議院山根りゅうじメルマガ[Vol.11]

大雪の後、新河岸川の内側の広いなだらかな斜面には十分、残雪が残っていて2日前に買ってきた子供用のスノーボードを持ち込んで花美と朱里を遊ばせてやった。キャーキャー言って楽しんでいたのに急に朱里は一人でボードを持って帰ってしまった。何か不満な事があったのかと思ったら、体が寒くなってきて堪らず引き上げていったのだと美樹子(祖母)に言っていたようだ。
 花美と二人でその後も愛犬のジルをボードに一緒に乗せて滑って遊んだりした。ボードから離れて体を直に雪面に横たえそのままゴロゴロと河川敷まで転がって行ったあとで花美が「じーじくんも面白いから降りてきて」というので降りて行ったら、今度は斜面で大の字になって私にも横に来るように促してきた。二人で大の字になって「気持ちいいね」と言い合って青空を暫く眺めて時を過ごした。

2014.02.05
孫との語らい[Vol.42]

 ゴミの集積場に積もった雪のかたづけを幼稚園から帰ったばかりの朱里と済ませ,すでにアイス状になって固まってしまっている駐車場の雪をこんど小さなシャベルで叩いて割り始めたのだが、手伝いの朱里は「お母さんとママが滑らないようにやっているんだからね。爺クンの為じゃないんだからね」とまたもや差別化してきた。

2014.01.25
前参議院山根りゅうじメルマガ[Vol.]

 柳澤桂子著「生きて死ぬ智慧」を読んだ。般若心経を意訳したものである。短いので読書ペースの遅い私でも直ぐに読み終えることができるもので、今日で2回目である。
 観音様がお釈迦様の一番弟子である舎利弗に‘空‘を説くものであるが、なかなか理屈では説明できるものではないだろうが、舎利弗レベルであったればこその説法なのだろう。私は子供のころ死に損なった経験があるが、その時味わった感覚を膨らませて ‘空‘を理解するようにしている。意識を失った私はもう異次元にいてオレンジ色の暖かな世界に今にも溶け入る寸前にあった。その世界に入ることは完全に死を意味していることは十分理解していたが、決して恐ろしいといった思いはなく、できるならばこのまま死んで大安心を得られる黄泉の世界である神と言おうか、究極の命の中に自分を融合させたいという誘惑にかられた。あの時、自分は自分ではないという感覚を理解できたように思った。あのときの感性が私の‘空‘を理解しようとするときの縁になっている。
 結局、私は、母を悲しませたくないとの思いで死を選ぶことはできなかったが、あの甘美な恍惚感だけは今も生々しく覚えている。

2014.01.23
孫との語らい[Vol.41]

 幼稚園から帰ってきたら先生が「朱里ちゃん膝の関節が痛いと言ってましたので、多分成長痛と思いますが湿布薬を張っておきました」と言われた。帰宅してしばらくすると、熱が出てきたので医者に診てもらったらインフレエンザとの診断だった。史子は出張中だったので美樹子が家で薬を飲ませようとするのだがなかなか飲もうとしない。「飲みなさい」「いや」の応酬が何度か続いたが、朱里は思わず「薬より(まだしも)爺クンの方が良い」と口ずさんだ。美樹子と吹き出しそうになったが、流石の私も複雑な心境であった。

2014.01.22
孫との語らい[Vol.40]

 朱里がまた夕食の時,私をだしにして「ジジ君は臭いから嫌い」と言ったので[だけど朱里の大好きな今日のカレーと同じ匂いだよ。爺クンの臭いはたぶんカレー(加齢)臭だよ]と言ってやったが朱里も花美もキョトンとしていた。ママの史子と美樹子だけがちょっとにや~としただけだった。

2014.01.20
孫との語らい[Vol.39]

 昨日は花美の9歳の誕生日だった。パーテーは花美自身の演出を取り入れて作り上げた。
自分は離れの居間にいて、準備が整ったところで声を掛けてほしい、と言うのが要望だった。天井からキラキラ紙を画鋲でとめて垂らし,メッセ―ジを示した。花美の註文どうり会場である母屋の居間の灯りはすべて消した。そして花美の入場で一斉にクッラカーをならし「お誕生日,おめでとう」と家族全員で声を掛けた。もう照れ笑いしながら、満足げな顔で花美のお出ましとなった。

2014.01.17
孫との語らい[Vol.39]

 朝、朱里に「昨日はママがいなくて大騒ぎだったね。よく眠れた?」と聞いたら、隣の史子の顔をみて何事も無かったかのように「ぜーんぜん」と笑っていた。史子が遅く帰って来てそのまま一緒に眠り朝を迎えたので、もう充分ということなのだろう。一体、昨日の騒ぎは何だったのだろう。
 美樹子(祖母)の解説では、眠くて仕方なかったことも大騒ぎの一因だったのだろうとの見方だが、まあ、こういうことを繰り返しながら子供も成長していくのだろう。
 一方、朱里からの電話を受け取った時の史子の方はjcの会議中のところで、会議が一時ストップとなり皆、沈黙で、話の一部始終を聞かれる羽目に陥っていたという。

2014.01.16
孫との語らい[Vol.38]

jcの活動については、娘からの最初の話では精々、月に2~3度だとのことだったが実際には毎日のように日程が入って来ている。子供はやはり母親が一番である。朱里が出かけている史子に電話をいれ「ジジ君じゃあだめなの。ママと一緒に寝たいから早く帰って来て」と懇願していた。[朱里は毎日、お人形抱いて寝ているんだよ]と訴えているのを聞いて堪らず、ソファーに行き隣に座ってずっと足首に触れてやっていたが私では慰めにも余りならなかったようだ。過保護にならないように普段は自分で眠るようにさせているが今夜は結局、朱里は美樹子(祖母)が寝かせ、花美は私が寝かせた。
 花美は昨日は、家電にかかってきた電話に2度出たところ、先方が無言だったとのことで不気味がり怖くて眠れない、というので眠るまで手を握り続けてやった。
 子供は、毎日が寂しさや、不安や不満を抱えて暮らしているのかもしれない。できるだけ其れを無くし、和らげ、癒し、励まし、支え、包んであげるようにしたい。しかし我々祖父母では、今のところ子供たちの心を十分に満たしてあげることはできない。


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