世界連邦埼玉県支部 | 山根りゅうじ


徒然に

投稿者アーカイブ

2016.03.27
民進党結党を祝して

 十九歳で民社党に入党しその本流のなかで、ずっと政党活動を続けてきたが民進党に参加しないことで四十九年間の党員活動に終止符を自ら今日で打つこととなった。民主党県連で主要幹部として私は一貫して筋道を立てた運営につとめてきたが、党の中央では党勢の衰退の中でそれを挽回すべく、一度離れた国会議員も受け入れる方針となり除名処分を受けた人も次々と再入党を果たした。そして今回の維新の党との合併劇である。
 私が政治活動を始めた1970年代の主要政党で自民党以外の政党では、一度党を離れ他党に移った者が復党する例は聞いたことがなかった。日本の政治文化が大きく変わってきたのだろう。党運営の基準が曖昧となると次々にタガが外され、やがて統制が効かなくなり組織が弱体化しなければよいのだが・・・・・。健全な野党の存在が日本の議会制度発展の絶対条件であり、厳しい船出ではあるが民進党には頑張ってほしいと思う。

2016.03.22
市政改革への決意

 娘、史子の県議会報告書を市民の皆さんにお届けさせていただきながら、様々なご意見やご要望を聞かせていただくことがありました。川越の将来を心配されるご意見、切実な生活苦のお訴え、等々のお声の中で私は自然と私にできることが多々あるのではないか、と考えるようになってきました。市議、県議、国会議員としての経験と知識、情報と人脈を生かして地元川越に御恩返しするのが私の天命であるとすれば躊躇すべきではないとの思いは日増しに高まり、沸騰点を超えたので、内外に私の熱い思いを吐露させていただきました。それが昨日、今日の新聞報道に繋がりました。
、暫くパソコンが不調でブログが更新できませんでしたが、新しいものに買い替え今日から新たなスタートを切らせていただきます。

2016.03.22
市政改革への決意

娘、史子の県議会報告書を市民の皆さんにお届けさせていただきながら、様々なご意見やご要望を聞かせていただくことがありました。川越の将来を心配されるご意見、切実な生活苦のお訴え、等々のお声の中で私は自然と私にできることが多々あるのではないか、と考えるようになってきました。市議、県議、国会議員としての経験と知識、情報と人脈を生かして地元川越に御恩返しするのが私の天命であるとすれば躊躇すべきではないとの思いは日増しに高まり、沸騰点を超えたので、内外に私の熱い思いを吐露させていただきました。それが昨日、今日の新聞報道に繋がりました。
、暫くパソコンが不調でブログが更新できませんでしたが、新しいものに買い替え今日から新たなスタートを切らせていただきます。

2016.03.03
アメリカ大統領選挙について

民主党 クリントン候補と共和党
トランプ候補との戦いとなれば、クリントン候補の圧勝で選挙は終わるのだろう。それにしてもトランプ氏と橋下大阪市長とイメージが重なって仕方ない。
CAT:1

2016.03.02
富岡製糸場を見学して

先般、家族で世界遺産に登録された富岡製糸場を見学してきた。やはり現場を見て初めて知ることばかりで、感銘を受けて帰ってきた。明治初めに我が国の近代化にいかにこの工場が貢献したのか、展示資料と丁寧な説明員の方の話でよく理解できたように思う。製糸場がこの地に決まるまで、埼玉も候補地の一つだったとの説明があったので「それは埼玉の何処だったのですか」と質問したが、明快な答えは頂けなかったが事実上の決定権者だったフランス人のブリュナーの頭には数か所の候補地があったが、最初から富岡に決め込んでいたふしがあったようだとの説明だった。
私はもう一つ「工場を設立し技術指導してフランスに帰ったブリュナはその後どのような人生を送ったのですか」と質問させてもらった。彼はその後、中国に渡り技術指導し、日本にも立ち寄った後、帰国し二年後病死しているとのことであった。日本では敷地内に大きな洋館を提供され家族といっしょに暮らし、当時の大臣と同程度の俸給をうけていた彼の日本での五年間は幸福だったのだろうか、などと思いを巡らし製紙場の門を後にした。
CAT:1

2016.02.19
オノヨーコ個展を見て

 東京の現代美術館へ行ってきた。新聞報道で知り初めてオノヨーコさんの作品を見てきたが、率直に言って
芸術性の高い作品を見つけることはできなかった。贔屓目に見て精々、思想的アッピールを感じることができたに過ぎない。メッセージ性は高いがそれ以上のものではなかったというのが、きついが私の感想であった。
 CAT:1

2016.01.08
1億総活躍社会

 この標語は若い官僚か、官邸の若手政治家がネーミングしたに違いない。民主党の「誰でもが、居場所と出番を」のフレーズに替わるものを、との思いがありありである。マスコミはそのまま使わざるを得ないが首を傾げた報道陣も多かったのではないか。
 私が何故、若い人の発想では、と訝るかというと、高齢者には重く圧し掛かってくるようで違和感を覚えるからである。年をとってももっと頑張りたい、と思っている人には励みにもなるだろうが、ゆっくり静かに暮らしていきたい、と思っている人には余計なお世話、といった感覚があるはずである。若く元気な時では解らなかった肉体の変化、老いの兆し。心の変化、諦念。こういった経験は年を重ねてこそのものであり、新たな人生の発見でもあり、忌み嫌う必要はない。勝新太郎が病に伏せ、忍び寄る死に恐れることもなく手鏡で自身の顔を食い入るように見入って、役者として「死に行く人間の顔を見届けておきたい」といったそうだが、高齢な者の中にも老いの過程を楽しむ輩がいることに多くの若者が気ずくことはない。「居場所があれば結構、納得の老後」と思う高齢者は多いはずである。

2015.12.31
ささやかに乾杯

 先述したノーベル平和賞の授賞式に通訳として出席した友人の桐蔭横浜大学の阿部憲二準教授夫妻と会食した。凡そ5年をかけて実現した被爆者の方を権威ある国際舞台に派遣しようという目標、夢を実現したことを互いに喜び合った食事会であった。オスロからの細かい帰国報告も聞かせてもらったが、お連れしたお二人が80前後のご高齢であったので先ずは無事に帰ってこれたことに安堵した。そして継続は力なりだねと、三人で静かに乾杯して喜び合った。
 CAT:1

2015.12.29
慰安婦問題の決着について

 外交交渉なので100パーセントの満足はどちらにもないが、これで良しとしなければならないだろう。何故、外交問題にまでなってしまったのか、あるいはしてしまったのかは国内問題としてしっかりと整理しておかなければならないだろう。国家の関与がなかったにも拘らずあいまいな決着をしようとした一連の当時の政府決断は、検証しておくべきだろう。また、進歩的知識人と言われた人々の売国的行為は非難されなくてはならない。加えて、マスコミの虚偽を重ねた報道も問題であった。
 今後、この問題を蒸し返さない、との言質をとったものの過去の経過から又、政権が変わったからと言って繰り返さないとも限らない不安は残る。もしそうなったら、攻撃的外交に転ずべきだろう。具体的には、韓国兵がベトナムで行ってきた婦女子への暴行事件の顕在化、膨大な数に上る韓国兵とベトナム女性との間にできた子供の責任放棄の問題は、韓国にとってはアキレス腱となっている。これを政府からではなく民間ベースで情報発信することも可能だろう。ただ日本の今日の弱さは組織的、継続的、戦略的にこれを組み立てる機関がないことである。世界の大国でこういったことを行える情報機関をもたないのは日本ぐらいのものだろう。
 日本の種々の潜在的能力、力を誰よりも知っているのは世界の大国であり殊にアメリカであろう。ポスト
オバマ政権は間違いなく右傾化されたものとなるだろうから、あるいみでチャンスと受け止め連携してでも本格的な情報機関を日本は作り上げておくべきだろう。国民の理解を現在では得にくいかもしれないが、世界平和構築の砦とすることもできるものとしたらいい。

2015.12.22
新国立競技場の決定について

 先ずは一安心である。‘‘木と緑のスタジアム‘‘で伝統的な和を創出する、との意味がある
という。専門的なことは解らないが、日本的であることが大切なのだ。国会議員時代のメルマガに書いたことがあるが、日本の迎賓館のようなベルサイユ宮殿を真似たような建物は所詮本物には勝てはしない。外国のお客さんが望むのは、期待するのは、飽くまでも日本の文化の香りなのだと思う。このスタジアムで精々日本的なるものを現出させてもらいたいと思う。


TOP