世界連邦埼玉県支部 | 山根りゅうじ


徒然に

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2016.06.12
ありがたい知恵者

 二人の友人のそのまた友人からのメールがきっかけで今日、元新聞記者のМ氏と川越西口の倉式珈琲店でお会いした。1時間ほど川越の街づくりについて県議でもある私の娘も交えて熱く意見を語り合った。М氏は私と会うことの意味を十二分に理解されていて事前に川越の財政を細かく調べあげた上で、観光行政のことなどを熱く語り具体的な政策提言をしてくれた。М氏は川越在住の市民でもあり生の川越を知悉していての提言であり、現実を踏まえての内容で私には美味しいご馳走をプレゼントされたようなものであった。
 以前、赴任していた地方での取材経験を基にした各種の情報も有り難かった。これからの私の政策作りに反映させていただきたいと思う。Мさん有難うございました。

2016.06.10
やさしい参議院の旧民主党事務局

 参議院を離れて3年もたつのにいまだに国会が終わると分厚い会派の活動報告書が送られてくる。まだ忘れられていないのだな、と嬉しくなる。同期で惜敗し党を離れていった人も多いが、その人たちにも送られているのか否か分からないが
送られた方は誰しもうれしいのではないか。こうした気遣いが段々、政界に無くなってきているのだが、義理と人情に篤い老政治家がいてこそのことであることを私は知っている。若い政治家の皆さんもぜひ気遣いの政治を継承していただきたい。
 もう引退を表明されているので敢えて、名前を出すが多分、輿石元副議長の発案だったのではないか。輿石さんは日教組出身でありその組織のイデオロギーに反発を覚える人も多いが、実際に先生を知る人々はイデオロギーの左右を超えた義理と人情の人であることを理解している。だから自民党からも信頼が厚く、自民党の青木幹事長引退のあと参議院で大きな役割を果たされてきたのだと思う。
 55年体制の自民・社会のなれ合い国対の悪弊から離れたところで国会運営に当たられてきた功績は大きいのではないか。

2016.06.09
都議会報道に見る ー マスコミで報道されない議会のこと

 本会議質問について「原稿無しでやるべきでないか。なに見ながらやってんだ」といった視聴者のご意見をテレビを通じて多く聞くことができた。また、ワイド番組のコメンテイターも同様の発言をしていた。気持ちはわかりますが国会も含めて本会議は原稿を持って演説をするのが慣例となっている。それは、本会議演説は原則として一問一答形式ではなく一度きりの演説であり、間違いの許されない権威を持ったものとしよう、という暗黙の合意が議会の歴史の中で築き上げられてきたことが背景にある。だからアドリブなど効かされない舞台ということができる。
 昭和11年に行われた斎藤隆夫の粛軍演説は議会の歴史に名を残すものとなったが、一言一句練りに練り考え抜いた演説は一言の言い間違えも許されない正に命がけの演説であったに違いない。この演説も本会議場で原稿をしっかり読み上げてのものであった。
 今から45~46年前沖縄問題で地方自治の神様と当時言われていた門司亮代議士が20分程の演説をノー原稿で行ったのを見たことがあったが、このとき一応、手には原稿を丸めて持ち演説後筆記者に手渡していた。ノー原稿演説ではあったが慣例となっていた形式は尊重されていたように思った。
 其の後、私が国会議員になってからも何人かの議員がノー原稿の演説を行ったが、私にはただ記憶力を誇るだけのものでしかなかったような気がした。聞くものを感動させるようなものではなく、議場の空気は、うまくできるかどうかといった次元の心配しかなかったような気がする。
 フランスでは予算説明の演説でジスカールデスタンが数10におよぶ数字を間違えなくそらんじ、話題となったことがあったが、そのことに私は意味があるとはおもえなかった。
 私が生で見た演説の中では皆、自民党ではあるが病後復帰した幹事長も務めた田中六助さんの演説は迫力があった。また、参院のドンといわれた青木幹雄さんの小泉総理への質問は迫力を持ちながらも、気遣いあるギリギリの与党質問であり質問の妙をみせていただいた。このお二人の名演説もしっかり原稿を読んで行われたものであり、変にアドリブにこだわったものの中から名演説は生まれてこないと私は思う。考え抜かれ研ぎ澄まされた言葉にこそ人を揺り動かすエネルギーが内包されているのではないか。
 政治家にとり本会議場での演説は、渾身の力を籠める場であり、時に政治生命を、時に命をさえかけるような場でもあるのだ。
 知性と品性が求められる都議会の本会議で知事批判するのに、「せこい」の表現はちょっと違和感が残る。「知事として吝嗇(りんしょくーけち)に過ぎるのではないか」と述べるべきではなかったか。

2016.06.08
朝日健太郎氏の参院選出馬について

 昨日の朝刊で東京選挙区から自民党公認の立候補と知りびっくりした。致し方ないことなのだが、私からは以前、民主党から立候補してほしいと要請していた経緯がある。その時はオリンピックをビーチバレーで目指していて、「環境が整ってから」といった話で終わっていた。私からは環境問題に関心がある様子だったので、今から関心を持ち続け勉強していったら強みになるよ、というようなことをアドバイスさせてもらったのを憶えている。
 私の二度目の選挙の時、友人を通じて応援に入ってもらっていたという関わりだったが、その後、私の知人の企業から氏をサポートすることとなり、時折活躍ぶりは聞かせてもらっていた。既に政党を離れた身ではあるが、今私の心の中には何か喪失感がある。

2016.06.07
舛添都知事と私の会話

 テレビで会見を見させてもらった。都知事はこれで何とか乗り越えたい、との思いなのだろうが都民の信頼を再び得るのは並大抵のことではないだろう。実務能力は高い人だと思うが、任期中に今回の問題を払拭できるほどの画期的な実績を都民にお見せできるほどのメニューがあるのだろうか。それにしても、長時間の記者会見の間、ある種堂々と受け答えする姿を見て決して嫌味や皮肉ではなく心の折れない強い人だなと思った。
 前にも書いたが、舛添さんとは参議院同期で友達ではないが私にとってはカモ猟も一緒に行ったこともあるなど、身近に感じられる自民党議員の一人であった。その彼に当選後、1~2年経った頃だったろうか普通なら失礼な質問だったろうが、同期のよしみとの思いもあって「政治献金は一か月どのくらい集まっているの」と聞いたことがあった。そうしたら率直に「大体20万円くらいかな」と答えてくれた。
 私が知りたかったのは、当時、テレビにでずっぱりで超有名人である人にどれくらい国民の皆さんは献金するものなのか、という点にあった。つまり日本国民の政治家に対する献金意識に私の関心があった。この人でさえ20万円なら我々無名の国会議員が一般国民の皆さんに献金のお願いをしてみても、現実には限りなくゼロに近いのだろうなとそのとき直感した。個人の政治家を対象とした政治団体ではないが、事実、旧民主党本部に献金されて来られる方はほとんどいなかった。党の予算の90数パーセントは国からの政党助成金である。
 しかし政党本部への献金の実態は党によって全く異なっているのだろう。公明党や共産党のような熱烈な支持者に支えられているところは、一般支援者からの献金も多いのかもしれない。
 政治と金のことは実態を国民の前に明らかにしたうえで、議員経験者や学者など専門家の間で徹底議論しつくして新たな制度設計をしておくべき時期に来ていると思う。国の有能な人材が政界や官界を忌避するようになれば、日本の衰退に直結するになるのだから。

2016.06.06
孫との適切な距離

 「さ~お風呂に入るぞ」と言ったら「ううん。一緒に入らない。多分もう一生一緒に入らないと思う」そう小5の花美に宣言されたとき、いよいよその時がきたなと思ったが、小3の朱里も「触らないで。触りたいとき朱理から触るから」と言い始めてきた。そして昨日などは「ジジ君ストーカー止めて」と訳の分からないことを言ってきた。そう言いながら放っておくとベタベタと絡んできたりする。成人した二人の子供たちには、遠くから温かく見守るような感覚でいるのだが、孫たちには遠くからではなく一定の距離を置いて熱く見守るような時期にき始めたような気がする。

2016.06.05
モハメド・アリ氏のこと

 パーキンソン病を患っても今まで得た栄光を考えれば、バランスの取れた人生、との受け止め方が凄いと思う。自暴自棄にならず前向きに生きていくたくましさに励まされた人は多いだろう。日本では長嶋茂雄さんもいる。渡哲也さんは役者としてのイメージを守りたいと一度は自死も考えたが、生を選び見事に復活されたことを思い出す。時代の寵児となった人は幸か不幸か生涯、時代を背をわされている感覚が残るものなのだろう。世間の注目を浴び続ける苦悩はいかばかりだろうか。
 アリ氏の人生はドラマそのもので、誰しもが担えるようなものでなく正に重量級の生涯であり偶然にこのような人生を生きたのでなく、考え抜き、選び抜いてこの時代に舞い降りたような気がする。

2016.06.04
みそ汁の味

 「最近味噌汁作ってくれないね」と小3の朱里に言われてしまい、今朝、頑張って作った。最近といっても2日間なのだが、それでも朝食にみそ汁がないことに違和感を感じてくれていたとしたら逆に、頑張り甲斐が出てくる。昨日、買い物のとき「味噌汁の具はあったっけ」と妻に言ったら、「何かうれしそうだね。子供(孫)にでもせがまれたの」と見透かされてしまっていた。
 出汁が手作りでないので「俺の味」というわけではないのだが、ネギや豆腐、ワカメの切り方で、ジジ君の味を記憶してもらえたら有り難いのだが。

2016.06.03
大声の訳 

 「山根さんは声も大きく元気ですね」とよく言われるが、これには訳がある。以前、国会議員の時にも書いたことがあったが同居の父親の耳が遠く、大声で話さないと意思の疎通がはかれずやむなくのことであったと。父は明治25年生まれで金さん銀さんと同じ年で私が生まれたときには、56歳を数えていた。一人っ子だった私は母が亡くなると、ほとんど口をきいたことのない父と翌日から二人暮らしが始まるわけだが、食事のこと、帰宅時間のことなどお互い話さないわけにはいかなかった。そこで当時、良質の補聴器もない時代のこと、大声で語るしか方法がなくいつしか誰と話しても大きな声を発するようになってしまった。母が亡くなったとき私は21歳、父は77歳になっていた。
 母の死で暮らしは一変したが、それまで一定の距離が開いたままだった父子の関係が年月を重ねるごとに深まっていったのは、望外の意外な副産物であった。もし母が健在で父を見送っていたのなら、私と父との関係は心が交わることのないクールなもので終わっていたかもしれない。
 それが痴呆も入り、下の世話をまだ国の制度のない時代、私と妻とで数年にわたり介護するまでの父子関係になれたことは幸いなことであった。‘‘大声‘‘もまた私の政治家としての大きな武器の一つにもなった。

2016.06.02
政治活動の暫時休止宣言

 昨日で国会も終わり政界は参院選一色に染められてくる。私自身の政治活動も誤解を生んではいけないので、参院選挙が終わるまで一時、休止とすることにした。有り余るエネルギーをこの40日間どこにどのようにぶつけていくか、考えることも楽しい。


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