| ■地方議員選挙の時 | |
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自分自身の選挙はこれで7度戦ったことになる。 |
| ■国政挑戦への決断 | |
| 20歳で職業としての政治家を目指す決意をしてから今日まで、ずっと国政を意識し続けてきた。 31歳で市議会議員となった時も将来を自分なりに見据えていたので、議会内のあらゆる役職に執着はなかった。 他の議員に躊躇(ちゅうちょ/ためらうこと)せず、何でも譲れた。 自分が国会議員への第2のステップとして県議会議員に挑戦する時、仲間の市議会議員の人達には応援はもらえないまでも、足を引張られなければ、それで良い、そんな思いでいた。 選挙勝利の要諦(ようてい/物事の肝心なところ)は、いくつかあると思うが私の経験則として敢えて言わせてもらえば不可欠なのは、挑戦する機会と判断した時、何が何でも「今」だと心の底から思えるまでに、熱い思いが湧きあがっていなくてはならない、ということだ。 そんな時、きっと周辺の環境も整ってくるに違いない。 民主党本部が衆議院議員選挙で、私の地元埼玉7区で候補者を模索し始めた頃、私は支援組織に自分の思いを打ちあけ挙手した。 組織としては突然のことであり面食らうような話だったに違いない。 しかし、勝つ為に越えなくてはならないハードルを組織自らがいくつか設け次々とクリアしてくれたが、最後のハードルを越すことができず、出馬(立候補すること)を私自身、断念させて頂いた。 私としては支援組織が真剣に時間をかけ前向きに検討して頂けたことだけで満足だった。有難いという思いでいっぱいだった。 衆議院議員へ挑戦する思いを抱いていた時、ずっと心に重くのしかかっていたのは、現職中野清代議士(自民党)の事だった。 私が衆議院議員選挙に出たいという思いは、中野氏と争いたいという思いでは決してなかった。 同氏が県議会議員から川越市長選挙に挑んだ時は、私は先頭に立って応援をさせて頂いた。 そして、私の最初の県議会選挙では中野氏から逆に応援を頂いた。 更に同氏の最初の衆議院選挙、続く私の2期目の県議会選挙でも2人でお互いにお互いを支援してきた。お互いの力量や個性は知悉している。 2人が激突すれば板挟みになる人も多く、いずれの結果でも後味の悪さが残ったことだろう。 現中野代議士と舟橋現市長が市長選挙を戦った時の事が種々思い出されるが、保守なら保守で支援者がラップしている時の争いは凄惨を極めることが多い。今でもその時の傷跡は残っている。 私が衆議院議員選挙を忌避したことは幸いだったと今でも思う。 |
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| ■参議院選挙への挑戦 | |
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当選の確立は25%と覚悟しての参議院選挙であった。 |
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