山根りゅうじ|政策提言 第2弾

山根りゅうじ

政策提言


川越市政をガラッと変える主要政策

介護保険料の引き下げ!

国で定められた財政安定のための予備資金ともいうべき基金は既に27億円を積み上げています。
川越市の介護保険料は県平均よりも高くなっており、市民の所得が上がっていない中で当面、引き下げることが必要です。

小中学校給食費を無料化!

教育は、個人はもちろん国家にとり将来への大きな投資となります。
保護者負担をできるだけ軽減することは公の大きな責任です。
川越市も自治体の責務として給食費の無料化に踏み込むべきときを迎えています。
給食費は平成27年度から引き上げられ、現在は小学生で月額4,350円、中学生で月額5,250円となっています。
財源はあります。政策提言第3弾で明らかにします。

前参議院議員 元外務副大臣 山根りゅうじ プロフィール

山根りゅうじ
生年月日昭和23年3月8日(68才)
経歴
  • 出版社勤務を経て国会議員秘書
  • 31才から川越市議会議員4期連続当選
  • 47才から埼玉県議会議員2期連続当選
  • 2001年から参議院議員2期連続当選
  • 経済産業委員長、外務副大臣等を務める
  • 現在、NPO法人アジア母子福祉協会副理事長
家族妻・長男・長女(埼玉県議会議員)
孫(小3、小6の女児)・愛犬1匹・愛猫2匹
最終学歴埼玉大学中退
趣味テニス
その他血液型0型
聞き上手で話し上手
好物Pino(モリナガ)
苦手な食べ物ニンジン

川越市政改革へのご意見ご要望がございましたら、ご一報をお待ちしております。
無記名でもかまいませんが出来れば、ご住所・お名前・お電話番号・メールアドレス等をご記入頂き下記宛にファックスかメールで送り頂ければ幸いです。

川越市政をガラッと変える市民の党

所在地〒350-0014
川越市古市場460-6
お電話049-235-1687
ファックス049-235-1680
E-mailyamaneryujiji@gmail.com

平和と福祉 私の願い

2020年第2回目となる東京オリンピックがやってきます。
川越でも正式種目となったゴルフ競技が行われます。
川越市議会議員時代、川越オリンピックの誘致問題をとり上げたことがありますが、その真意は一般質問の表題でもあった“行政目標としての川越オリンピック”それ位の思いで社会基盤の整備を急ぐべし、というものでありました。

私が市議会議員時代にも五輪にとらわれをもっていたのは、1964年の東京オリンピックの開会式に遡ります。
夕闇の中を整然と入場してきた選手団は10分程(?)もすると隊列が崩れ始め、もう国別での入場行進ではなく、各国選手団が入り乱れての入場となりました。
国や肌の色を超えて選手たちは肩を組み談笑し手を握り合って思い思いのスタイルで入場してきた様を見てスタジアムは歓喜に沸き立ちました。
今でもあの時の情景を思い出すと目頭が熱くなります。
正にあの刹那、私は世界の平和は可能なのだとある種の啓示を受けたように感じ入りました。
16歳、高校2年生の秋の出来事です。

時が移り47年後、私は外務副大臣に就任させて頂き、中東、アフリカ、中南米へと訪問を重ね、13ヵ月で32ヶ国を歴訪しました。
2国間のみならず地域の平和と繁栄の問題についても意見交換するなど、交流を広げました。
アフリカでは、スーダンから独立した南スーダンを訪れ、時あたかも両国が紛争解決に向けての話し合いをするその会場に滞っていたこともありました。
話し合いは順調に運び安定へと向かうかに見えていたにも拘わらず、帰国してみると再び両国が紛争を始めるという展開に愕然としたりもしました。

又、アフリカや中東ではリビア、アフガニスタンも訪問しましたが、夜になると発砲音がそう遠くないところからも聞こえていました。
平和は言うは易いのですが、いつも厳しい現実を突きつけられてばかりです。
私は紛争や戦争のない安定した平和構築には、理想ではありますが、世界政府をつくり上げていくしかないとの信念持っています。

また私は現実には現実の対応が必要というプラグマティズムを持つ者でもあります。
しかし政治家には絶えず理想を揚げ、理想に向かう強い意志も求められると思います。
理想に焦らず現実に溺れず、これが私の政治家として貫いてきた基本姿勢です。
今後、それを自治体という行政の中でどう具現化していくかを考えるとき、私の頭の中でいくつかの施策の胎動がありますが、立法的機能を持つ議会での論議も踏まえ熟慮し一歩を踏み出したいと思います。

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福祉国家の建設を

“福祉国家の建設”これが19歳で政治運動に入ってから私が追求してきた国家像でした。
もちろん社会保障制度を充実させていくことが、必須の条件ですが、社会の各般での不平等、不均衡を是正し、意欲と能力に応じ、誰しもが自分の夢や理想に向けて挑戦できる、結果の平等ではなく機会の平等を確保する社会の実現これが私の目指す福祉国家の建設でした。

「個人の人格の自由な発展をこそ最高の価値基準とする」
これこそが究極の私の人生の指針であり政治を行う者の共有されるべき価値観だと考えます。
一人一人が思い思いの人生を伸びやかに展開すること。
そして社会と国家の中でその障害となるものを取り除く作業こそが政治の役割だと信じて、この凡そ50年に亘る政治活動を連綿と重ねてきました。

「個人の人格の自由な発展をこそ最高の価値基準とする」
これこそが究極の私の人生の指針であり政治を行う者の共有されるべき価値観だと考えます。
一人一人が思い思いの人生を伸びやかに展開すること。
そして社会と国家の中でその障害となるものを取り除く作業こそが政治の役割だと信じて、この凡そ50年に亘る政治活動を重ねてきました。

私の介護体験

山根りゅうじ

私の父は明治25年生まれで、金さん銀さんと生まれが同年でした。
私はその父が56歳の時の子でしたから、私が31歳で結婚した時には既に87歳となっていました。
93歳で亡くなりましたが、身まかる数年前からが痴呆が始まり、やがて寝たきり状態となっていきました。
その過程で私達夫婦は様々な経験をさせてもらいました。

ある日廊下にポトポトと水滴が落ちていて拭き取りましたが、翌日も翌々日も水滴があり怪訝に思えていました。
しかしこれが父への本格的介護の序章であることに気づくのに時間はかかりませんでした。
愈々、来たのかと覚悟を決めましたが、次々と驚きの事態が急展開していきました。
私達夫婦は戸惑いながら必死に新しい状況に自らを適応させていくしかありませんでした。
食事を終えて30分も経っているのに「食事はまだか」と言われたり、結婚して数年が経っているのに「お前はいつから彼女と同棲するよになったのか」と聞かれたりし始めました。
自分の汚物をオムツから取り出し、畳や壁に塗りつけるまでに状況は悪化していきました。
介護保険制度のない時代の中で誰しもが高齢者の家庭内での介護を余儀なくされ、家族負担が重くのしかかる時代でした。
しかし、幸い私達夫婦は30代の若さがあり、父の刻々と変わる心身の変化にも比較的に早く慣れ対応できていったように思います。

この経験があったので妻の母、私の義母も義父が亡くなってから、妻は7人兄姉の末っ子でしたが、我が家で晩年を引きとらせて頂きました。
もっとも義母の場合、我が家においで頂くという決断だけを私がしたにすぎず、実際のほとんどの介護は妻が一人で担っていました。
その義母も93歳の天寿を全うし、我が家で息を引きとりました。
2人の親の介護経験が身近な生々しい視点で高齢者福祉の政策づくりに私は生かせるものと自らに期待しております。

様々な施策で税収を向上させていかなければなりませんが、痒いところに手の届く誇れる“福祉の街”を何としても創り上げたい一心でこの際、川越市政をガラッと変える決意をさせて頂いた次第です。

平成28年10月10日

山根隆治


政策提言



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