山根りゅうじ|川越市政をガラッと変える市民の党|元参議院議員 元外務副大臣


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五輪と薬物 

 ロシア選手の五輪参加問題については、チェックしたうえで白と思われる選手は出場を認められないのだろうか。種々の事情を知らないので無責任なことは言えないが、参加できない白組の選手の思いを忖度すると同情を禁じ得ない。五輪の参加不参加でこれからの人生が大きく変わってくる人も多いことだろう。私が記憶している一番古い五輪は1956年のメルボルン五輪で水泳・山中選手の力泳をラジオで聞いていたのを憶えている。このころから大国ほどメダルを取っていくものとの認識があった。1964年の東京五輪の時、金メダルを15個取ったと記憶しているが高校2年だったが、これからの日本の発展を予感させられてとても嬉しかったものだ。
 しかし後年、国家の威信をかけた戦いの陰で薬物により選手の、その後の人生で背をわされた健康被害の悲惨な実態や、独裁国家や全体主義国家における選手への過剰な圧力による精神障害などを知るにつけ、五輪におけるメダル獲得の意味はいったい何なのかと考えさせられるようになった。
 メダル獲得で特別年金を受給したり、国家の英雄として名誉と生涯生活を保障され豊かな人生を送った人も多いだろうが、国の違いによる選手間のあまりの格差に何か一人納得できないでいる。ちなみに、誰も問題意識を持たないでいると思うが、大リーグの選手の年俸にしても10億円を超えたらもういいでしょ、と思う。20億30億になったところでそれだけ幸せ感が増すとは思えないのだ。スポーツ選手の年俸については、格差という視点がまったく認識されていないのは私には異常に思える。日本はまだしも極端に走っていないが、それでも欧米の在り方に少しずつにじり寄ってきているのは心配である。スポーツ界全体の問題として議論できないだろうか。多くの人が莫大な年俸が当たり前のこととして受け取っていていいのだろうか。
 選手待遇の底上げや、斯界発展への還流、社会への還元等々、考えていくべきではないのか。そうした運動が迂遠だがテロ防止にもつながってくるようにも私は思えてならない。
CAT1



2016.07.22|徒然に

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