山根りゅうじ|川越市政をガラッと変える市民の党|元参議院議員 元外務副大臣


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都議会報道に見る ー マスコミで報道されない議会のこと

 本会議質問について「原稿無しでやるべきでないか。なに見ながらやってんだ」といった視聴者のご意見をテレビを通じて多く聞くことができた。また、ワイド番組のコメンテイターも同様の発言をしていた。気持ちはわかりますが国会も含めて本会議は原稿を持って演説をするのが慣例となっている。それは、本会議演説は原則として一問一答形式ではなく一度きりの演説であり、間違いの許されない権威を持ったものとしよう、という暗黙の合意が議会の歴史の中で築き上げられてきたことが背景にある。だからアドリブなど効かされない舞台ということができる。
 昭和11年に行われた斎藤隆夫の粛軍演説は議会の歴史に名を残すものとなったが、一言一句練りに練り考え抜いた演説は一言の言い間違えも許されない正に命がけの演説であったに違いない。この演説も本会議場で原稿をしっかり読み上げてのものであった。
 今から45~46年前沖縄問題で地方自治の神様と当時言われていた門司亮代議士が20分程の演説をノー原稿で行ったのを見たことがあったが、このとき一応、手には原稿を丸めて持ち演説後筆記者に手渡していた。ノー原稿演説ではあったが慣例となっていた形式は尊重されていたように思った。
 其の後、私が国会議員になってからも何人かの議員がノー原稿の演説を行ったが、私にはただ記憶力を誇るだけのものでしかなかったような気がした。聞くものを感動させるようなものではなく、議場の空気は、うまくできるかどうかといった次元の心配しかなかったような気がする。
 フランスでは予算説明の演説でジスカールデスタンが数10におよぶ数字を間違えなくそらんじ、話題となったことがあったが、そのことに私は意味があるとはおもえなかった。
 私が生で見た演説の中では皆、自民党ではあるが病後復帰した幹事長も務めた田中六助さんの演説は迫力があった。また、参院のドンといわれた青木幹雄さんの小泉総理への質問は迫力を持ちながらも、気遣いあるギリギリの与党質問であり質問の妙をみせていただいた。このお二人の名演説もしっかり原稿を読んで行われたものであり、変にアドリブにこだわったものの中から名演説は生まれてこないと私は思う。考え抜かれ研ぎ澄まされた言葉にこそ人を揺り動かすエネルギーが内包されているのではないか。
 政治家にとり本会議場での演説は、渾身の力を籠める場であり、時に政治生命を、時に命をさえかけるような場でもあるのだ。
 知性と品性が求められる都議会の本会議で知事批判するのに、「せこい」の表現はちょっと違和感が残る。「知事として吝嗇(りんしょくーけち)に過ぎるのではないか」と述べるべきではなかったか。



2016.06.09|政治・経済等

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